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「妻が先を歩くだけで不機嫌に」モラハラ加害者の無言の“圧”はなぜ生まれるのか

悔しさや恥ずかしさを認めることができずに、怒ってしまう

 この時、一体何が起こっていたのでしょうか。大きく2つの問題があることが見て取れたと思います。  1つ目は「怒りよりも先に感じた感情を、自分でうまく理解できていない」ということです。今振り返ってみれば、僕は怒るよりも先に、悲しい・寂しい・不安といった感情にパニックになっていました。  一緒に楽しく歩いていたかったのに、(相手に同意も得ずに勝手に道路を渡っているにも関わらず)ついてきてもらえず、振り向きもしないで歩き続けている背中を見ていると自分が捨てられたような感覚に襲われていたのです。  それを怒りという感情で覆い隠して「ついてこない相手が悪い」と責める気持ちになることで、自分の脆弱な感情、傷つきをごまかしているのです。  2つ目の問題は、上記の問題から生まれます。自分の脆弱な感情をごまかしているので、素直にお願いすることができず、怒りや不機嫌の感情しか相手に向けることができないため、結果的に建設的な話し合いが全くできないという問題です。  妻にはズバリ「えいなかは、私についてきてほしかったんだよね? でもついてきてもらえなくて嫌だったんでしょう。それならそう言えば良いのに、どうしてそうやって説明もせずに一方的にメッセージだけするの」と言われました。  それは的を射た指摘でした。それゆえに、返事をしたくありませんでした。自分が甘えたワガママを言っていることを突きつけられて、悔しい、恥ずかしいという感情が自分を支配し、ただ黙って壁を見ていました。  自分の弱さを認めていたらどうだったでしょうか。道路を渡ったあと、すぐついてきてくれなかったときに、声をかけて一緒に歩きたいと言えばよかった。相手が渡りたくないタイミングだったなら、自分が元いた道に戻ればよかった。  あるいはメッセージをする時に「一緒に歩きたかった」と言えばよかった。「いきなり渡っちゃってごめん」と一言謝ればよかった。

不機嫌が許されるのは赤ちゃんだけ

 妻は「どうせあとで合流するから一緒に歩かなくても良いと思った」と言っていました。自分が勝手に見捨てられたような感覚、自分を軽んじられたような感覚を持っていただけなのです。  それなのに、自分のニーズ=脆弱さを認められないがために「ついてこないお前が悪い」「普通あの場面だとついてくるだろう」というべき論で自分を守る。その未熟さ愚かさに気づいているから、相手の指摘を無視することによって、愚かさを認めることからさえも逃げようとする。  自分の弱さを認められていれば、その場ですぐ関係を修復し、楽しくカラオケで楽器の練習ができたはずです。いい週末を過ごせたはずです。その機会を壊したのは、疑いようもなく自分の「弱さを認められない弱さ」が原因でした。  都合が悪くなると不機嫌や無視で攻撃してくる人間は、自分の言動の不一致を自覚しながら、それによって相手を困らせていることにも薄々気づきながら、相手にケア・配慮・気遣いさせて問題を解消しようとする非常にずるく弱い人間です。  素直に謝らないのは自分の脆弱性、ニーズに気づいていないか、それを認めるのが恥ずかしいことだと考え、それを刺激されたことで相手に攻撃されたと感じる「被害者根性」にあります。  こういう人間は、自分のニーズを認識していないため、満たされて当然と考え、してもらったことに感謝もしません。ニーズを認識していないので、満たされないと怠慢であると喚き、責めてきます。  これが許されるのは赤ちゃんだけです。そして加害者は赤ちゃんと違って可愛くもありません。よって、パートナーはその関係に疲れ切り、別れを選ぶのです。
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DV・モラハラを見抜くポイント
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DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか

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