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『ズムサタ』卒業の望月理恵、17年半続けられたのは「毎回課題があったからこそ」

学生時代は人前が苦手でおとなしいタイプ

望月理恵——坂東さんの男気を感じるエピソードですね。ちなみに学生時代から人前に出ることはお好きだったんですか? 望月:いえ、全くです(笑)。今の仕事をしていることに、地元の友達がいちばん驚いていると思います。学級委員を頼まれても「副学級委員ならいいよ」というタイプで。ソフトボール部に入ってはいましたが、どちらかというとおとなしい学生だったかな。 ——今の明るいキャラクターからは想像がつかないです。学生当時ハマっていたことは? 望月:ラジオが幼いころから好きでしたね。(明石家)さんまさんや(笑福亭)鶴瓶さんが出ていた『MBSヤングタウン』などをずっと聞いたりするラジオっ子でしたから。事務所に入ったときも「ラジオ番組をやりたい」と話して、20年ほどパーソナリティーもやらせてもらっていたので。“モッチー”というニックネームはラジオで付けられたモノですね。

現場で培った“叩き上げ”のアナウンサー

——アナウンサーやキャスターとしての勉強やレッスンをされたのは、ミステリーハンターになってから? 望月:自分でアナウンススクールに通って発声の勉強をしたりしていましたが、基本的に私は“叩き上げ”だと思います。『世界ふしぎ発見!』のロケに行くたびに(出身が関西だったので)イントネーションだったり、レポートのやり方だったりをスタッフさんたちに指摘していただいて。その場その場で磨いていった感じですね。 ——やはり、現場で学んでいくことのほうが多いんですね。 望月:現場で学んでいって、現場の一員になれるかどうかだと思っています。今もそうですが、セント・フォース自体がマネージャーや会社の方に何かアドバイスをもらうよりは、現場に行ってそこに適応する力を身に着けていく子が多い事務所だと思いますし、私もそれがスゴく大事なことだなと。 ——当時、憧れていたアナウンサーやキャスターの方はいらっしゃいましたか? 望月:ミステリーハンターとして活躍されていた竹内海南江さんですね。リポートも的確で華もある方なので。実際にお会いする機会はそこまでなかったので、見て学ぶことしかできなかったのが残念でしたが……。 ——局アナであれば先輩に指導をもらう機会もあると思いますが、そのあたりが“フリーアナならではの難しさ”ですか? 望月:正直、不安や焦りもありましたね。でもその分、スタッフさんや作家さん、番組に関わっている方全てが“先輩”になるので、学ぶべきことをいろんな方向から吸収していった感じです。そこは、“フリーアナだからこその強み”だと思います。 ——“伝える”ときに意識されていることは? 望月:“目的は何か”を明確にしています。『世界ふしぎ発見!』に出ているときは暗記することに精一杯だった時期もあったんですけど、スタッフさんに「読んでいるよね?」と言われたことがあって、“読む”と“伝える”は違うんだと気づかされて……。  例えば「これを話してください」と頼まれたとして、ただ原稿を読むのではなく、商品を魅力的に伝えるためなのか、ズムサタであれば朝の明るい空気を伝えるためなのか、その意図を考えるようにしています。事務所の後輩に相談されたときも「読むことよりも何を伝えたいかを意識したほうがいいよ」とアドバイスしたりしますね。
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ズムサタでのいちばんの思い出
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