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芸人・若井おさむ、家族からの虐待と絶縁を経て決意したこと「僕は絶対、“例外”になる」

自分をかばってくれた父が…

「開店時は父が名義を貸してくれました。その頃の父は僕に優しくて『小さい頃のお前は本当にかわいそうだった』と言って、店にもよく飲みに来ました。ところが父は、僕をかばったせいで、母と兄にいじめられてました。そして僕が店を始めて3年後、うつ状態だった父は首を吊って死んでしまいました」  父の葬儀で母は「心臓発作で亡くなった」と噓をついた。若井さんは「噓をつくな!お前が殺したんだ!」と怒鳴ったが、誰も取り合わなかった。挙げ句、父の名義だったせいで自分の店も母と兄に取られてしまう。全てを失った若井さんは死ぬことも考えた。  しかし、ドラマ『伝説の教師』(’00年放送)で松本人志が放った「笑いながら死ぬか、笑わんと死ぬか、お前が決めたれ」という台詞に励まされ、28歳で大阪吉本の養成所に入り、芸人になる。  やがて若井さんはブレイクし、上京を果たす。幼い頃の一人遊びを芸に昇華し、お茶の間を笑わせたのだ。

虐待母と16年ぶりの再会。絶縁を決意

 
若井おさむ

妻と子と一緒に幸せそうに笑う若井さん。「子供はとにかくかわいいです。子育ては妻と協力してやってますね」

「仕事も一段落し、唯一の心残りが母のことでした。それで7年前、過去を払拭するため16年ぶりに会いました」  再会した母は、最初こそ昔の過ちを謝罪。しかしその後は、兄の自慢話を繰り返した。 「母は何も変わってなかったんです。でも、会ったことで、ようやく縁を切ろうと決意できました。会わなければ生涯モヤモヤを抱えたでしょうね」  昨年、若井さんは2度目の結婚をし、今年は子供にも恵まれた。 「母が孫に会いたがってると聞きましたが、会わせる気はないですね」  取材の最後に「かなり日焼けしてますね」と言うと「子供とよく公園で遊ぶからかな」と笑って言った。 「虐待経験者の大半は自分の子供を虐待するそうですが、僕は絶対、“例外”になります」 【若井おさむ】 お笑い芸人。’00年代半ばにアムロ・レイのモノマネでブレイク。今年2月に第1子が誕生。現在はキックボクシングのトレーナーもしながら家族を養う 取材・文/週刊SPA!編集部 
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