お金

デフレ不況に誘導する経済政策に、反対の声続出。それでも天保の改革が強行されたわけとは

天保の改革に待ったをかける意見も出るが…議論は噛み合わず

こうした水野のデフレ政策に真っ向から抵抗したのが、江戸市政を預かる江戸北町奉行の遠山金四郎景元である。遠山は、天保の改革が全ての贅沢を禁じ、倹約を徹底したことで、江戸が甚大な不景気に陥ったことを憂慮していた。 天保12年(1841)9月、遠山は将軍のお膝元である江戸が寂れることは幕府の権威にも関わるので、倹約令を緩和すべきだと水野に上申した。具体的には、禁止品目を列挙した詳細な倹約令はやめて、身分相応の衣食住を命じる緩い倹約令を提案している。つまり「自粛」レベルで十分だろう、というのが遠山の見解である。 水野は遠山の提案に激怒し、贅沢禁止を嫌がる町人に迎合するような倹約令を出しても無意味であると反論している。遠山は厳しすぎる倹約令は江戸の衰退と町人の離散を招くと考え、倹約令に手心を加えるよう願い出たわけだが、そもそも水野は江戸の人口減少を狙っており、議論は平行線に。両者の溝が埋まるはずもなかった。
呉座式日本史フルネス

『遠山の金さん』のモデルである遠山金四郎景元。江戸北町奉行として、手腕を発揮。庶民に近かった遠山は、天保の改革による江戸の不況を敏感に察知し、問題視していた

不景気だけに留まらない…治安悪化も危険視していた遠山の金さん

 江戸衰微による幕府の威信低下うんぬんはタテマエであり、遠山が本当に気にしていたのは江戸の治安悪化だったと思われる。デフレ不況は日雇い労働者などの下層民の生活を直撃する。その上、彼らから娯楽を取り上げれば、暴徒化する恐れがあった。当時は数年前に大坂で起こった大塩平八郎の乱(1837)の記憶も生々しく、大工や行商を行う小商人などの深刻な生活苦は、江戸町奉行所に打ちこわしの恐怖を感じさせた。 風俗取り締まりの観点から寄席全廃を命じる水野に対し、遠山は、勧善懲悪を説く講談は道徳教育の役に立つこと、全廃となれば芸人の生活ができなくなること、下層民から娯楽を奪えば酒色や博打に走ることを指摘した。 こうした遠山の姿勢は、まさしく江戸庶民の味方として映ったことだろう。このことから「名奉行・遠山の金さん」は、講談、歌舞伎、時代劇などで後世にまで語り継がれていくことになる。

今週のフルネス

過激な経済政策は副作用大!課題を共有して実のある議論を
1980年、東京都生まれ。日本中世史を専門とする歴史学者。’16年に刊行された『応仁の乱‐戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)は、48万部を超えるベストセラーとなり、歴史学ブームの火つけ役に
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