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失明、骨折の凄惨決着…アントニオ猪木「壮絶すぎたガチンコ試合」の舞台裏

パキスタンで「英雄」になったアントニオ猪木

 猪木はペールワン戦後にもたびたびパキスタンを訪問。パキスタン政府の招きで同地を訪れて、遠征を行った。  現地では英雄として扱われ、2012年にはパキスタンペシャワールのカイユースタジアムで「対テロ組織平和祈念プロレス興行」を開催。現地政府から「猪木記念日」の制定を贈られた。  プロレス界のスーパースターであり、幾多の喧嘩マッチを展開してきた猪木は、晩年〝数万人に1人〟の難病「心アミロイドーシス」と闘い、2022年10月1日に心不全により死去した。享年79。最後まで燃える闘魂としての生涯をまっとうしたのである。
プロレスやエンタメを中心にさまざまなジャンルの記事を執筆。2019年からなんば紅鶴にて「プロレストーキング・ブルース」を開催するほか、ブログnoteなどで情報発信を続ける。著書に『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.1』『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.2』『インディペンデント・ブルース』(Twitterアカウント:@jumpwith44
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