更新日:2023年08月30日 17:17
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五輪汚職、捜査対象は政治家まで広がるか?舛添要一氏が「当時の内幕」を語る

五輪決定の歴史的瞬間、高橋はあの場所にいた

 猪瀬氏は当時の内幕を、’17年に出した自著『東京の敵』(角川新書)にこう綴っている。 「当初は張さんに会長になってもらい、僕と竹田さんで副会長を務めつつ、外資系金融・会計・コンサルで実績のある人間にCFO(最高財務責任者)として入ってもらえるよう、水面下で動いていました。(中略)トヨタで経営をしてきた張さんとシビアなCFOがいれば、お役所のような無責任経営にはならないと考えたのです」  不可解なのは、高橋容疑者が組織委の理事に就くかなり前から五輪利権に食い込んでいた兆候がある点だ。前出の舛添氏もこう首をかしげる。 「高橋氏は東京招致が決まった’13年9月、ブエノスアイレスで開かれたIOC総会の場にいた。つまり、森喜朗会長、高橋理事という組織委の人事は、すでにこのとき決まっていたのではないか。実際、私が知事に就任したときには、すべては決定済みでした」
舛添要一

「五輪のコストにうるさく、細かいことを言う私も利権に絡む勢力から相当疎まれていたようです。だから、猪瀬氏同様に知事の座を追われたのでしょう」(舛添氏)

「直前まで森氏を会長に推す声は一切なかった……」

 6年前という早い段階で高橋を危険人物と見抜き、国会で実名を挙げ追及していた議員がいる。神奈川県知事も務めた松沢成文参院議員だ。 「高橋容疑者は、’16年6月に組織委理事の任期を迎えようとしていた。私は同年4月、国会でこの事実を当時の遠藤利明五輪担当相に指摘し、高橋氏の更迭を迫ったが、『政府には組織委の人事権がない』と聞く耳を持たなかった。だが、森元首相が五輪組織委の会長に収まった人事は、都と国、JOCらによる4者協議で決まった。つまり、組織委の人事に政府の意向を反映させることはできたのです」  かくして、猪瀬都知事辞任後、舛添都政に移行するまでの「空白の48日」の間に組織委が結成され、そのトップに森元首相が就くことになる。 「ただ、直前まで森氏を会長に推す声は一切なかった……」  関係者の多くはこう口を揃える。なぜ、森氏の名前が急浮上したのか? 果たして、ブラックボックス化した国家プロジェクトが動き始める――。(次号に続く) 撮影/山崎 元(本誌)
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