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軍事クーデターから2年余り。在日ミャンマー人たちが日本政府に望むこと

 ミャンマー国内で、国軍最高司令官ミンアウンフライン率いる国軍によるクーデーターが起きたのが、2021年2月1日。いまもまだ国軍の武力弾圧は続き、多くの市民が犠牲になっている。

在日ミャンマー大使館前で抗議の声

 クーデターから2年経った今年2月1日、在日ミャンマー人たちが東京・品川区にあるミャンマー大使館前で抗議行動をするために集まった。主催者発表では600人。ビルマ、カレン、カチン、モン、そしてロヒンギャなど、各民族の人々がこの場に集結して抗議行動を行った。
ミャンマーデモ1

600人ものミャンマーの人々が集まった 

 2年前の2月1日は、ミャンマーの首都ネピドーで新しい議会が始まる日だった。2015年、アウンサンスーチー国家顧問が率いるNLD(国民民主連盟)が選挙で圧勝して以来、民主化を押し進めようとしていた。2008年に国軍により作られた憲法を改憲しようと本格的に乗り出し、議員たちがネピドーに集まっていた。  憲法の内容をわかりやすく抜粋すると、「選挙で軍政が負けたとしても権力は譲らず、主要3省(国防、内務、国境)を軍政下におき続け、緊急事態には全権を軍に委譲する」というものだ。  さらには「外国籍の配偶者や子がいる者は大統領になれない」という条項があり、まさにイギリス人の夫がいたアウンサンスーチー氏に向けたものともいえる。

自国民を殺害し続けるミャンマー国軍

 2020年の選挙もNLDが圧勝したため、追い詰められた国軍は「不正選挙」と難癖をつけて、スーチー氏をはじめ多くのNLDの議員たちを一網打尽にし、逮捕した。現在でもほとんどが自由を奪われた身のままで、2022年にスーチー氏は禁固33年という判決を下されている。  恐怖政治は再び始まり、それに反対する一般市民によるデモ隊に警察は無差別に発砲したり、村を焼き討ちしたり、または小学校や人が多く集まる場所に爆撃したりと非道の限りを尽くしている。多くの人が家を追われ、命を落とした人は子供を含め2900人以上に及ぶと言われている。
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ミャンマーで拘束された北角さんに聞く
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おだあさひ●Twitter ID:@freeasahi。外国人支援団体「編む夢企画」主宰。著書に『となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS』(旬報社)、入管収容所の実態をマンガで描いた『ある日の入管』(扶桑社)

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