更新日:2023年06月27日 18:43
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広末涼子の夫会見に感じた「モラハラ臭」の正体。“正論”だからこそ、息苦しい

「被害者」から「支配者」に

 キャンドル氏からすれば、これらの“証拠”をもって妻に落ち度がないことを訴えたかったのでしょう。また、そのような状態にある妻をフォローしきれなかった自分の過失を認めることで、騒動を鎮めようと考えたのかもしれません。  しかしながら、一部ネットユーザーはメンタルヘルスの専門家による診察が必要なのではないかと心配しています。またプライバシーに関わる部分を、恐らく本人の了解なく公言したことに疑問を抱く人も少なくありません。つまり、“不倫をした妻に責任能力はない”、と語ったわけですよね。  となると、広末の決定的な弱みを知っているキャンドル氏が、実は生殺与奪の権を握っている状態なのではないか。デリケートな広末の精神状態の話を持ち出したことで、“被害者”のキャンドル氏を支配者にしてしまった。理不尽や不可抗力を受け入れる器の大きい夫、というイメージを打ち出すことに成功したとも言えるわけです。  意図的ではないにしても会見で明かされた話からモラハラ的な主従関係ができあがってしまうというのですね。

純粋な「正しさ」を追求しつづける生真面目さ

 とはいえ、キャンドル氏が自らの立場を有利にするためにわざと話したのではないでしょう。そこには、むしろ純粋な正義、真理、公平、公正を追求しつづける生真面目な姿勢が映し出されているように感じられるからです。  今回の会見での、<キャンドル・ジュンは1人暮らしをする際に、何のために生まれて来たんだろうか。何をすべきなのかを思い悩み、自問自答する時間を多く持ちました>との言葉は、キャンドル氏の核となっています。  初のフォトブック『Candle Odyssey the book』(2009年 白夜書房刊)の中に、こんな一節がありました。 <自ら生きると意識して生きてもいない者が、自ら終わりを選択する事はできない。この当たり前のようでいて本質的な問題に向き合ってしまった以上、自らが積極的に生きてこのテーマと向き合わなければいつまで経っても、自分が何のために生まれてきたのか、その本当の答えは手に入らないのだと悟った。>(あとがき)
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幼少期から覚えていた「目的とのズレに対する違和感」
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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