更新日:2023年06月27日 18:43
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広末涼子の夫会見に感じた「モラハラ臭」の正体。“正論”だからこそ、息苦しい

幼少期から覚えていた「目的とのズレに対する違和感」

 この生に対する極めて真剣な思考を実現できる仕事がロウソク作りだったと語っているのですね。実際に生命にたとえている発言もあります。 <キャンドルって火をつけるととてもきれいなんですよ。これがすごく大切で、責任といってしまえばそれまでですが、自分が存在している証がまさに目に見えるというか、きれいなもので、かつ風が吹いたら消えてしまったりとか繊細なものでもあるし、触ろうとするとヤケドしてしまうこともあります。それに、キャンドルには限りがあります。つまり、生きるってこういうことなんじゃないですかね。>(『ethica』 2021年5月31日)  これに共感するかどうかはさておき、キャンドル氏が自身の思想、哲学、生き方をどれだけ厳密に一致させようとしているかが伝わってくるのではないでしょうか。幼少期のころから<目的とのズレに対する違和感>(『DIAMOND online』2022年12月23日)を覚えていたというのですから筋金入りです。

「正しい」がゆえの息苦しさ

 同様に、世界平和や公正な社会を求める心も潔癖症的なピュアさから生まれているのですね。自身の活動「Candle Odyssey」は世界から戦争がなくなれば終了すると説明しています。 <人間は元々競い合って生きるものその美しさもあるはずだけど、そこは分けて評価すべきですよね。ルールやモラルがある中での競い合いで人々は生きるべきなんです。だから、今の社会に反対していくのではなくて自分の意思表示をちゃんとして、それに賛同してくれる人たちと自然と繋がって、自分が生きている間にキャンドルを灯すところが無くなれば良いですよね。>(『UNITインタビュー』2006年10月2日)  この発言を読んで、真っ向から異を唱える人はいないでしょう。しかし、同時に違和感も覚えてしまう。なぜなら、あまりにも正しいからです。理想的な正しさの中に理想を見出しているがゆえの息苦しさ。それが静かな攻撃性となり、相手に襲いかかるのです。
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「平然と正論を振りかざす無邪気さ」はときに恐ろしい
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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