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居眠り議員に「恥を知れ!」。石丸伸二市長41歳、“腐敗しきっていた政治”から目指す場所

安芸高田市の名を日本に残すため

石丸伸二_エッジな人々――それは安芸高田市の発展に結びついていると言えるのか? 石丸:政治再建はほぼ成し遂げましたが、都市開発には10年、産業創出にはさらに10年以上かかると考えています。ただ、それでも人口10万人以下の都市は20年後にかなり消滅するでしょう。そのことは市長就任以来、正直に市民に伝えてきました。’14年に増田寛也元総務相の「増田レポート」で、全国1700自治体のうち896が2040年までになくなる“消滅可能性都市”に該当すると発表されました。安芸高田市もその一つです。 ――消滅することを念頭に、市長を務めているということ? 石丸:もちろん、いつまでも安芸高田市が生き残ってほしい。でも、いつかは必ずなくなるので、将来の日本に安芸高田市の何かを残したいと思ってやっています。例えば、サンフレッチェ広島や神楽を市の特色として押し出すようにしたのも、そのため。サンフレッチェの練習場が市内にあるんです。いつか日本代表がW杯で優勝を果たしたときに、サンフレッチェ選出の代表選手が「安芸高田市で育った」と言ってくれたら本望。もう一つの神楽は、皆さんにぜひ一度見てもらいたい。太平洋戦争後、神楽は禁止されたんですけど、当時の安芸高田市の人たちは「儀式でなく舞踊なんだ」と定義して、ミュージカルのように神楽を昇華させた。うちの神楽は、昨年のG7広島サミットでも、各国首脳にお披露目されたんです。 ――そこまで考えていながら、いまだに今年の市長選への出馬を明言しないのはなぜか? 石丸:単純に決めてないからです(笑)。政治再建はほぼ成し遂げたので、この先のことは僕でなくてもできるんじゃないか?とも思う。ゴルバチョフ(ソ連最後の最高指導者)の「収穫のときに立ち会えないかもしれないが、できるだけ多くの種を蒔こう」という言葉がすごく好きなんですよね。1期目でたくさんの種を蒔くことはできたので、今後のことはおいおい考えていこうと思っています。  国政進出の可能性を問うと、「その可能性はゼロ」と即答する石丸氏。若き改革派市長の身の振り方にも注目したい。
Shinji Ishimaru 1982年、広島県安芸高田市生まれ。京大経済学部卒業後、三菱東京UFJ銀行に入行。為替アナリストとして働いた後、’20年の安芸高田市長選挙に出馬して初当選。政治再建を掲げて、議会やメディアとのガチンコ勝負を挑む姿が話題になり、市公式YouTube登録者数は23万人に 取材・文/池垣 完(本誌) 撮影/初沢亜利
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