更新日:2024年03月12日 18:36
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自宅全焼、子供との別れ…“50歳の美脚トレーナー”が歩んだ波乱万丈すぎる人生

ウォーキング講師として成功した現在思うこと

久優子(ひさしゆうこ)氏

恩師たちには「感謝しかない」という

 一方で、独り身になってからの久氏は、静養する間もなく、子供と離れた寂しさを紛らわせるように仕事に没頭した。知人が芸能プロダクションのアカデミーを立ち上げ、そこでウォーキング講師をすることになる。紆余曲折を経て、久優子というひとりの女性が「美と健康を目指すボディメンテナンス」を主とするサロンを開業することになった。その後の輝かしい成功は冒頭に記述した通りだが、50歳という節目に際して、久氏は思うことがあるという。 「人様に何かを教えるどころか、私はかつて、元夫にも自分の意見を言えないほど弱い人間でした。自分に自信があるはずもなく、自分よりすごいセラピストや先生を見上げて生きてきました。そんななかで、私のような人間がサロンを開業するまでに育ててくれた恩師たちには、本当に感謝しかありません。現在でもその方々といい関係が続けれるのは、少なくとも仕事には真摯に向き合ってきた結果なのかなと思うこともあります」

「胸を張れる仕事であること」を心がけていた

 産んだ子どもと離れ、我が道を行くこと。母性に重きを置く考え方からすれば、到底ありえない価値観だろう。だが久氏は、穏やかにこう話す。 「当時の私は、自分のなかの葛藤や事情があったにせよ、はたからみれば子どもを捨てたと思われても仕方ありません。そして、子どもたちの心のなかにも、そういう意識があって当然だと思います。私が子供たちと離れていた十数年、ずっと心がけてきたことは、いつか子どもたちと再会したときに、『自分たちを置いて出ていった果てがこれか』と言われない、胸を張れる自分でいたい――それだけの仕事をしようということでした。仕事を通して誰かを笑顔にできるように、可能なら社会に貢献できるように振る舞いたいという思いは、あの頃から一貫して持っています」  30代前半で身ひとつで飛び出した久氏が胸に刻んだ矜持は、正しかったのか。その答え合わせは、意外な人の言葉でできたという。 「元夫とはここ数年、定期的に会うのですが、娘に『どんな風になりたい?』と聞いたらしいんです。すると、『ママみたいに自立した女性』って答えたとか。自暴自棄になりそうになった時期もあったけれど、実直に取り組んできて良かったと思えました」  幼い時分に別れた2人の子どもたちは現在、どちらも成人し、現在は久氏と交流があるのだという。さまざまなすれ違いによって産まれた溝に尊敬が入り込むことで、親子の絆を繋ぎ止める。だがそれも、社会を舞台に死闘を演じた母の生き様なしにはありえない。過ごした時間も少なく、「ママ」と呼ばれてくすぐったい。けれどもお互いを尊重できる。そんな親子の関係も、確かにある。 <取材・文/黒島暁生>
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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