更新日:2024年03月12日 18:36
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自宅全焼、子供との別れ…“50歳の美脚トレーナー”が歩んだ波乱万丈すぎる人生

娘の脇口あたりが燃えていた

「義母はもともとルーズな人で、引っ越してくる約束の日時になっても現れませんでした。連絡をしみてると、『粗大ごみが出せていないから、来週にする』という謎の発言。肩透かしを食らったのを覚えています。その数日後、2月の寒い朝。小学生の長男が登校したあと、幼稚園生だった娘の登園準備をしていると、どこから引火したのか、娘の脇口あたりが燃えているのです。みるみるうちに火が広がっていくのが見え、怖くなり、このままだと火だるまになってしまうと判断し、必死に娘のパジャマを脱がせました。皮膚の灼けた娘を、そのまま毛布で包んで抱きかかえ、自分の運転する車で病院へ連れていきました。娘の火傷はかなり重度。結果的に皮膚移植をしないで済んだものの、当時は数回に渡る皮膚移植が必要だといわれていました」  一命を取り留め、肺にも異常がないことを確認し、安堵したのもつかの間、嫌な予感がした。 「妙に自宅の様子が気になり、まだ寝起きだったという義母を電話で起こし、家の様子を見るようお願いしました。義母が駆けつけた時には、マンションの一室からモクモクと煙が出ているというのです。私は医師に娘を預け、急いで自宅マンションに向かいました」

自宅が変わり果てた姿に…

 マンション一帯は“KEEP OUT”のテープで覆われ、人だかりができていて一歩も近づけない状態。どうにか辿りついたとき目にしたのは、変わり果てた我が家。半狂乱になって部屋に入ろうとするも、久氏は消防や警察に止められた。 「その後の現場検証や事故調査でも、日常的に使用していたハロゲンヒーターが火元なのは明確だったのですが、なぜ娘のパジャマに引火したのかはわからないまま。部屋は真っ黒、エアコンは溶けて床に落ち、様変わりした我が家がありました。それまで長い年月ここで生活してきたことがまるでなかったように、黒一色に染まっていて、煤けたニオイが私の身体にまとわりついて離れないんです」  それからは生活保護シェルターと娘の入院先の病院、自宅だったマンションを何往復もする日々が続いた。来る日も来る日も炭になったかつて大切だった物を整理するためだけに自宅マンションに通う。ある日、娘の病室でふと鏡に写った自分をみて、久氏はこんなことを思った。 「鏡の向こうの私は疲れ果て、汚く、なんともいえない顔をしていました。思えばお風呂に入るのも忘れ、煤だらけになって自宅マンション片付け、夕方には娘の入院する病院に戻りエキストラベッドでいつの間にか眠り、朝を迎える日々。あるとき、電車に乗ったら周囲にいた人が私を避けて、密だった車内にそこだけ空間ができたほどです…煤まみれになっていた私は相当臭かったんだと今になって思います」  自分は汚く、みじめだ。久氏がそう自覚したのは、銭湯だった。 「思い返すとそれまで銭湯に行ったことがなかったのか、私は勝手がわかりませんでした。備え付けのシャンプーがあると思っていたのに、町の銭湯にはシャンプーもリンスも、石鹸すら置いてなかったんです。仕方なくお湯で髪の毛を洗っていると隣にいたおばあさんがシャンプーを分けてくれました。洗髪をしていると、真っ黒な水が足元を通って流れて行きました。何度洗っても真っ黒な水……分けてもらったシャンプーにもかかわらず、何度も何度も洗髪したのを覚えています。煤が排水口に延々と吸い込まれていくさまを見ながら、遠めどなく涙が溢れてきたのを覚えています。この時こそ、みじめで、情けなかったことはなかったです」
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横暴な義母に業を煮やし、ついに別居を決意
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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