更新日:2024年03月12日 18:36
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自宅全焼、子供との別れ…“50歳の美脚トレーナー”が歩んだ波乱万丈すぎる人生

“義理の母”の登場で雲行きが怪しくなる

 自らが育ってきた環境とは、何もかも全く違う結婚生活。戸惑いも多かったが、人情のある義理の親戚のおかげで順風満帆な日々を送っていた。だが、元夫の「産みの母親」が現れたことで、決定的な亀裂が生じる。 「元夫には、彼が幼稚園くらいのときに別れた母親がいました。当時小学生だった元夫の兄(義兄)がずっと面倒をみていたようですが、義兄との関係が悪化し、ある日唐突に元夫に連絡してきたのです。要件は簡単に言えば、金の無心でした」  何十年も音信不通だったとはいえ、元夫は実の母親からのSOSを無下にできなかった。結局、大病した際の入院費や住居費、基本的な生活費などを負担することになった。 「義母は、身につけているものが派手だったりするわけではないものの、ナチュラルにわがままを言える人でした。たとえば入院の際にも『大部屋ではほかの患者のいびきがうるさくて寝られない』として高額な個室へ移動したり、退院後に私たちの近くに住むことになり用意した住居も『ここは狭すぎる』と難色を示すなど、無理筋なことを平気で言う人でした」

苦肉の策で「戸籍のうえでは他人に」

 当時、元夫は事業に専念するため、久氏と子どもたちとは別居していた。この2つの住居のほかに、義母のために借りた部屋があったことになる。他にも事業を回していて出費が重なったこともあり、徐々に元夫の事業は傾き始めた。 「元夫は仕事について何か言う人ではなかったのですが、財政状況が苦しいことは私にも容易にわかりました。何しろ電気・ガス・水道などが止まることも1回どころか数回経験しました。そこで、私が持っていたブランド物の時計やバッグなどを売りました。それだけでなく、少しでも助けになればと思い、在宅で稼げる仕事をしたり、義母が子どもたちをみてくれるときは外での仕事も始めることにしました」  しかしその後も事業が上向く気配はなく、久氏と元夫は籍を抜くことになる。 「おそらく、何かあったときに私たちが借金を背負わないための策だったのだろうと思います。別居もしていて、籍も抜いたので、はたから見れば完全な離婚ですよね。ただ、依然として私は子どもと一緒に当時と同じ家に住み続けましたし、義母も近くにいて、接触頻度は変わりませんでした」  戸籍のうえでは他人となったが、夫婦や家族として、なにも変わらない生活を送っていた。だがその平穏はいとも簡単に崩れた。 「義母と同居することになりました。私と子どもが住んでいた家に義母が引っ越してくることになったのです。当時の財政状況を考えると仕方がないと思い、義母との同居を受け入れることにしました」  ところが事態は思わぬ方向へ動くことになる。
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娘の脇口あたりが燃えていた
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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