パチスロ「セット打法」で稼いだ50歳の元パチプロ。“裏モノ攻略グループ”に関わった男の末路は…
朝から晩までパチンコやパチスロを打ち、勝ち金で生活をするパチプロ。20代ならまだしも、30代、40代となるにつれ、世間の風当たりの強さに足を洗う者も多い。気ままな稼業の代名詞とも言われる彼らは、一体どんな人生を歩んでいるのだろうか。
今回はパチスロの「セット打法」でしのいだ経験のある大場裕樹さん(仮名・50歳)に話を聞いた。なお、この記事に出てくる裏モノはメーカーとは一切関係がないと付記しておく。
「攻略プロだったんですか?って言われると、まぁそうですねぇとは言えますが、私がやっていたことはセット打法とかですからね。しかも正規基盤じゃなくて裏モノのセット打法ですよ……。広い意味でパチプロなんでしょうかね」
なお、長年のパチンコ・パチスロファンならご存知だろうが、裏モノとは出玉率などの設定が不正に改変されたスロットマシンのこと、セット打法とは複雑な手順を踏んで強制的に大当りさせる打ち方のことを指す。なんともアンダーグラウンドな雰囲気が漂う話だが、大場さんはニコニコしながら当時のことを語ってくれた。
「私、出身は静岡県なんですが、どうしても東京に出たかったんです。目的は音楽。バンドやりたかったんですよね。でも、オヤジがすごく厳しい人で、そんな理由で東京なんて出してくれなかったんです。だから上京する理由を作らなきゃってことで、とくにかく勉強して、なんとか大学に行きました。でも、元々バンドやりたくて東京出てきたから、大学なんてハナッから行く気がないわけですよ。試しに軽音楽同好会っていうサークルにも入ってみたけど、大学のサークルのノリが、まるで合わなかった……」
結局、大場さんは大学にほとんど行かずにアルバイトとライブハウス通いに明け暮れる日々を過ごすようになる。
「新宿の居酒屋でバイトするようになって、いろんなヤツと知り合いました。ライブ行ったり飲みに行ったり……その時にスロットも覚えました。初めて打った台はビガーという台で、チェリー連チャンで話題になった台ですね。ワケもわからず、言われるとおり打ってたら、すごい連チャンして大勝ち。ビギナーズラックからハマったという典型的なパターンです(笑)」
こうしてバンドを組んでメジャーデビューを夢見て上京した大場さんは、パチンコ・パチスロの虜となり、ギターを弾く日々からレバーを叩く日々へと移り変わっていったのであった。
「当時は時代的にはちょうど4号機初期。クランキーコンドルとか技術介入系も登場し始めて、大量リーチ目、技術介入系という二大勢力に加えて、バキバキに連チャンする裏モノもかなり幅を利かせていたんですよ。技術介入系もよく打ったんですが、私はバキバキに連チャンするようチューンナップされた裏モノを好んで打ち込んでいました」
好きになったらとことんまで……という大場さん、裏モノを求めて都内や近郊をくまなく探し歩くようになったという。
「当時は今のようにインターネットで設置情報なんて調べられないから、自分で探すしかないワケです。フラッと電車に乗って駅に着くたびにパチンコ屋を探して、香ばしそうな店を見つけたら入ってみる。それの繰り返しでいろんな場所に行きましたね。大学が小田急線沿いにあったんで、小田急線はほぼ全駅制覇し、どこにどんな台があるかを調べ上げていました。
当時、神奈川は裏モノ天国で小田急線で西に行けば行くほど裏モノやレトロ台だらけで、パチンコ屋に入るたびに新しい裏モノたちとの出合いがありましたね。今考えると、イイ時代だったなぁ〜って思いますよ」
バンドでメジャーを目指し上京したのに…
裏モノとの出合いで「ギターからレバーへ」
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター
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