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自己破産を経験した47歳元パチプロ「精神的に追い詰められて勝てなくなった」

 自由人の代名詞とも言われるパチプロ。以前、そんなパチプロたちのその後を紹介し、話題となった。紹介した2人のその後は塾の先生と工務店経営と、いうなれば成功者。だが、読者からは「元パチプロはみんな成功しているとは限らない」や「泥沼にハマッたヤツのほうが圧倒的に多い」という声も……。  そしで前回は、FXや風俗経営を経て転落した元パチプロを紹介した。そこで今回も「オレのようになるな!」と言わんばかりの“パチプロ版しくじり先生”を紹介したい。

攻略誌の編集募集が運命を変えた

パチンコ

写真はイメージ

 今回登場いただいた松田幸司さん(仮名・47歳)はパチンコ攻略雑誌にも一時在籍したことがあり、勝つための理論はしっかり構築できていたはずのだが、自己破産を経験し、現在はトラック運転手をしているという。松田さんはどこでしくじってしまったのだろうか。まずはその経歴を聞いた。 「高校でパチスロを覚えて、専門学校時代は毎朝ホールに並ぶくらいハマッてた。なんとか専門学校は卒業できたんだけど、就職せずにプラプラする日々になってしまってね。そんな時にある攻略誌の編集者を募集していたの見て応募。新しい台の情報もすぐ手に入るし、パチスロ打って給料もらえるなんて最高じゃん!って思ってた」  松田さんが入ったのは某有名パチスロ雑誌。アルバイトとは言え、名刺も渡され、編集や雑誌作りのイロハを叩き込まれた。その後、編集部に3年ほど在籍し、パチンコマンガ誌の編集部に異動。記事だけでなくマンガ編集も覚え、編集者としては順調に階段を上っていた。 「とにかく忙しかったね。オレが入ったのは1998年だったかな。まだ出版界は完全にデジタル化してなくて、写植とか切り貼りしてたくらい。校了(※雑誌の締切日のこと)の前、10日くらいは会社に泊まり込んで、家にはシャワー浴びて着替えに帰るくらい。  パチンコ、パチスロは好きだったけど、編集とかデザインを覚えてそっちの方が好きになったのも事実。だから、攻略誌やパチンコマンガの編集部にいた時は本当に楽しかった」

過酷な職場環境にギブアップ

 ならばそのまま編集部にいれば、ステップアップできたのではなかろうか。そう聞くと、松田さんは苦笑いしながら「楽しかったけど、職場環境の酷さはそれを上回った」と答えた。 「入社というか、編集部に入って4年が経っても契約社員にもしてくれなかった。アルバイトって言ってるけど、実はアルバイトじゃなくてフリーのライターという立場だったんだよね。給料は時給じゃなくて日当。給与明細見たら『原稿料』って書いてあるの。アルバイトなら入社してしばらくすれば社会保険にも入れるし、時給で給料が出るから残業したり休日出勤すればその分お金ももらえるわけ。でも、フリーのライターが日当もらって編集やっているという形だったから、働けば働くほど損するっていう、ある意味地獄だよね(笑)」  編集部に入ってから4年が経つも日当は7500円から8000円に上がっただけ。おまけに休日に会社に出ても、休日分は「2日で1日分」という謎ルールだったというから、かなり無茶苦茶な職場である。立派な労働基準法違反で、今なら確実に炎上するレベルだ。 「会社には契約でもいいから社員にしてほしいと何度か言ったけど、あと1年、あと1年と言われてズルズル状態。仕事は楽しかったけど、さすがに限界を迎えたな。そんな時に、辞めていった先輩から別の出版社を紹介されて、二つ返事でそっちに移っちゃった」
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転職した先でも思うように行かず…
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グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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