交通事故で「意識不明の重体」から生還した28歳女性。障害を持っても“くじけない”理由
俳優、モデルとしても活躍し、近年は新美術展新人賞・第70回記念賞を受賞するなど、画家としてもその頭角を表す新井舞衣さん(28歳)。彼女は2016年9月、都内で大型トレーラーに撥ねられ、生死の境を彷徨った。救急搬送時は出血多量で意識不明の重体であり、右頸部内頸動脈損傷、外傷性くも膜下出血など、60もの診断がつく重篤な状態だったという。
奇跡的な生還を経て、「生き仏になりました」と自称する新井さんが、どん底から這い上がるときに大切に持ち続けた矜持は何か。
――新井さんの代名詞にもなっている“生き仏”ですが、これにまつわるエピソードをまず最初にお聞かせいただけますでしょうか?
新井舞衣(以下、新井):当時、20歳だった私は、事故後すぐに集中治療室で処置をされ、生きるか死ぬかの瀬戸際でした。なかでも頭部はかなりのダメージを負い、診断は「右頸部内頸動脈損傷」。脳につながる大きな2つの血管のうち、今でも右側の血管は塞がってしまったままなんです。正直、ここまでの事故では助からない可能性の方が高かったくらいで、事実、医師からは「いつ最悪の事態があってもおかしくない状態」という緊張感のある言葉が飛び出したそうです。
奇跡的に生かされたわけですが、噂を聞いた近所の住職さんが、ご丁寧に実家にご挨拶にいらっしゃいました。それは、私の地蔵を作りたいという話だったんです。これは私自身の回復祈願の意味もありますが、同じような悲惨な事故を経験された人が社会復帰できるようにという願いを込めて建立されています。
――そのような悲惨な事故から無事に復帰された新井さんですが、それまでの道程は壮絶だったと思います。つらい経験を経てもなお、現在のように表現活動をしたいと思うモチベーションの根源には、どんな思いがあるのでしょうか?
新井:当たり前ですが、事故に遭う前の私は普通に生活をしていて、予定をたくさん入れていました。それはプライベートで友達と会う約束だったり、芸能関係のオーディションだったり、さまざまです。しかし事故によってそれらはすべて消し飛んでしまいました。
そうした平穏な日々を早く取り戻したいという思いで、リハビリに臨んだのを覚えています。病院内のリハビリでは私と同年代の人はいなくて、高齢者が多かったため、もう少し近い年代の人と切磋琢磨したいなという思いがずっとありました。ふと振り返ったとき、私にとっては同年代の子たちと一緒に動いたりすることのできるお芝居が、リハビリに相当すると気づいたんです。
もちろん事故以前もお芝居には真剣に取り組んできたつもりですが、それに加えて、復活へ向かっていく証や決意のような意味を持ち合わせたことは、大きな意味があったかもしれません。
事故当時は20歳「奇跡的に生かされた」
芝居が「リハビリに相当すると気づいた」
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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