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“日本一頭が良い女子校”から「大学を四留→中退→フリーター」に…“学歴で挫折した”24歳女性の現在地

憧れていた同級生に思い切って話しかけたが…

 高校へ進学すると、成績は急落。ぺろぴーさんはますます追い込まれた。 「精神的に病んでしまいました。このあたりは、病んだから成績が落ちたのか、成績が落ちたから病んだのか、鶏卵だとは思うのですが。はっきり感じたのは、立つ瀬のなさです。私は昔から学校の提出物の期限を守るのが苦手で、よく注意を受けていました。高校に入学してからもそれは治らず、あるとき先生に叱られました。ちょうどそのとき、部活動のことや友人関係がうまくいかないことで精神的にいっぱいいっぱいになっていて、ダムが崩壊するように感情が込み上げてきて、呼び出された談話スペースのような場所で泣いてしまいました。『自分はどうして何もできない人間なんだろう』とみじめな気持ちになったんです」  友人関係においては、こんな拒絶も経験した。 「学生が参加できる学問の国際競技があるのですが、そこで活躍する同級生がいました。私は聡明な彼女に憧れを抱き、また尊敬もしていました。ある授業の時間に近くになることがあり、思い切って話しかけてみることにしたんです。しかし彼女の態度はほとんど無視に近いもので、私のような人間と話すこともしないんだなぁと感じたことがあります」

桜蔭から一浪で横国は「下位だと思う」

ぺろぴーさん

大学に進学するも、課題の多さに四苦八苦

 高卒後、ぺろぴーさんは一浪を経て横浜国立大学経済学部へ進学した。世間的には誇れる経歴だが、桜蔭の物差しでは必ずしもそうではないようだ。 「やはり桜蔭から一浪で横国というのは下位だと思います。当時はやりたいこともよくわからずにとりあえず入学しました。これまで理解してくれた母が浪人中に癌で亡くなったことも、少なからず私にとってショックでした。ちょうど入学以降、コロナ禍が続き、授業はオンラインが中心となりました。結構な量の課題が出され、多くの本を読まなければならない苦痛の日々が続きました。提出物なども満足に出せず、私が徐々に勉強についていけなくなってしまいました。単位も全然取ることができなかったんです」  大学入学後、精神科への受診を開始したぺろぴーさんは、2年生の夏に休学した。 「これまで悩んできて、ずっと受診したいとは思っていたのですが、父から『考えすぎだ』と言われて止められていました。精神科医に相談すると、やはり私は発達障害があり、抑うつ状態だということでした。現在でも、抗うつ剤と睡眠薬が手放せません」  一方で、奈落にいるときもぺろぴーさんは転身する方法を考えていた。 「私と同じように発達障害のある子どもを支援する立場になりたいと考えました。具体的には、精神科医になろうと思ったんです。しかしより多くの書物を読む必要があり、どうしてもそれが叶わずに断念しました」
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市販薬250錠あまりを口に含んで…
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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