ソニー創業者は「中小企業の社長になったつもりで考えろ」有名社長たちの“逆境”名言5選
今でこそ誰もが知るような大企業にも創業の頃があり、かつてはベンチャー企業だった。そこから組織を大きく成長させた名経営者たちは、どんな思考で立ちはだかる障壁に打ち勝って、成功をつかんだのだろうか。
真山知幸氏の新著『逆境に打ち勝った社長100の言葉』(彩図社)から一部抜粋・再構成し、名リーダーたちの「成功をつかむ言葉」を紹介していこう。
井深大は1908年、栃木県に生まれたソニーの創業者。優秀な成績で名門中学校に入学するが、その後はテニスと無線に熱中し、留年するほど成績が落ちてしまう。
しかし、無線への情熱は、発明家としての才能を開花させることになる。早稲田大学理工学部の在学中に「走るネオン」を発明し、パリ万国博覧会で優秀発明賞を受賞した。
就職活動では、意気揚々と東芝の面接試験に挑んだ。
「やりたいことはたくさんあります。走るネオンは特許をとりました」
そうアピールしたが、「会社は、好きなことをやれるとはかぎらんよ」と面接官から諭されて、結果はまさかの不合格。そこで、写真化学研究所を経て盛田昭夫らと東京通信工業を設立したのが、ソニーの始まりである。
世界に誇る一大企業を築いた井深が、仕事に悩む部下によく言っていた言葉がこれだ。
「中小企業の社長になったつもりで考えろ」
サラリーマン根性を捨てて、責任感と決断力をもって仕事に当たれば、見える景色も違ってくるだろう。
東急グループの創始者の五島慶太は、人生の転機を何度か迎えている。
まずは25歳のとき、英語教師の身だったが、官僚を目指すために東京帝国大学法学部へ進学を果たす。農商務省に就職し、鉄道院に勤務した。
2回目の転機は38歳のときだ。官僚を辞めて鉄道業界へと転身。武蔵野電気鉄道の常務を経て、目黒蒲田電鉄の設立に参加した。
その後、池上電鉄、玉川電鉄、京浜電鉄など東京近郊の私鉄を次々と統合。東京西南部全域の私鉄網を傘下に置く「大東急」を築き上げただけではなく、バス輸送、デパート、映画などの事業も吸収してしまった。
強引な経営手法から「強盗慶太」と恐れられた男は、なぜこれほどまで人生の局面で大胆な転身を図れたのか。その理由が次の言葉だ。
「俺はその日のことはその日のうちに忘れる主義だ」
成功も失敗も忘れ去ることで、新たな局面が生まれる。

※写真はイメージです。以下同
「中小企業の社長になったつもりで考えろ」(井深大)
「俺はその日のことはその日のうちに忘れる主義だ」(五島慶太)
伝記作家、偉人研究家、名言収集家。1979年兵庫県生まれ。同志社大学卒。業界誌編集長を経て、2020年に独立して執筆業に専念。『偉人名言迷言事典』『逃げまくった文豪たち』『10分で世界が広がる 15人の偉人のおはなし』『賢者に学ぶ、「心が折れない」生き方』など著作多数。『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』は累計20万部を突破し、ベストセラーとなっている。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義、宮崎大学公開講座などで講師活動も行う。最新刊は『逆境に打ち勝った社長100の言葉』
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『逆境に打ち勝った社長100の言葉』 人の真価は、追い込まれた時にこそ試される。スティーブ・ジョブズ、松下幸之助、本田宗一郎、孫正義、ジェフ・ベゾスなどの名経営者たちが逆境を前に語った100の言葉を、解説と共に収録。困難な時代を生き抜く勇気がわいてくる。 ![]() |
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