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生活保護を申請すると 「若いから2か月限定で」

一度落ちたら抜け出せない貧困スパイラルにはまった若者たちを直撃!

◆生活保護を申請すると 「若いから2か月限定で」

 田中信二さん(仮名・33歳)は中学校を卒業以降、ずっと貧困スパイラルに囚われてきた。養護施設の出身で中学校を卒業後、すぐにメガネ工場で働きだした。両親はいたが、父親は田中さんの母の再婚相手。小学4年生のときに施設に預けられた。その母も中学生のときに蒸発。義理の父には頼れなかった。メガネ工場に勤めている間もずっと寮で暮らしていた。

 なんとか生活を繋いでいたが、20歳のときに交通事故に遭い、失職。一気にホームレスに転落する。貯金もなく、残されたのは腰を悪くした自分の体だけだった。

 公園で寝泊まりする生活が続き、市役所へ駆け込んだ。生活保護を申請したら「若いから2か月限定で」という返事。もちろんそんな規則はないが、これが生活保護費をケチる役所のやり方だ。宿泊施設も紹介されたが、ここでも「貧困ビジネス」が待ち受けていた。

「寮の部屋は四畳半をベニヤでふたつに仕切っただけのものでした。生活保護で受け取れる額は12万~13万円なのに、宿泊費や食費を払うと、手元に残るのは3万円だけです。食事は朝晩だけで、レトルトばかりでした。事故の後遺症で腰が痛いので横になっていると、寮長に『仕事を探してこい¡』と怒鳴られる日々。追い出されるように施設を出ました」

 寮を出た後、田中さんは腰の痛みを抱えながら路上生活を続けた。日払いの建築や土木などの仕事を転々とするがどれも長続きしない。仕事をなくしては路上に逆戻り、という生活が続いた。アパートを借りようにも保証人がいなかった。

 田中さんは30歳のときに印刷会社で日払いの仕事を見つけるが、寮はなかった。荷運びの厳しい仕事だったが、腰の痛みを押して働いた。一日5000円の給料で、仕事のある日はネットカフェに泊まった。けれど連休や正月休みは収入がなく、公園で寒さに耐えるしかない。空腹のため栄養失調と診断されたこともある。

 この仕事は長続きしていたが、ある日、仕事中に利き腕を怪我して続けられなくなった。しかし労災などは一切払われることはなく、再び路上に放り出された。

 ここ数年、行政などによる貧困対策が充実してきてはいる。しかしその対象は、大卒で就職して正社員で働くという”普通”のレールに乗った人を想定している。ところが実際に窓口を訪れるのは、田中さんのような非正規職員。離職票も何もなく、失職したのは「自己責任」と決めつけられ、社会保障制度を利用できない場合が多い。

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杉並区にある、路上生活からの社会復帰を促進するための施設。
外見からは何の建物かわからない。就労自立率は51%というが……


― 20~30代ホームレスが落ちた[貧困アリ地獄] 【3】 ―

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