「イスラム過激派=悪?」ハリウッド映画に見る善悪二元論
イスラム過激派組織「イスラム国」に対するアメリカ軍主導の有志国連合による空爆が拡大している。6日には、シリアで国際テロ組織アルカイダ系の反体制派武装組織「ヌスラ戦線」に空爆を行なうなど、「自由シリア軍」を支援するためとして「イスラム国」以外の組織への攻撃も強めている(「アルカイダ系に空爆=米軍、伸長に危機感か―シリア」11/6付時事通信ほか)。
9月の空爆開始の際、オバマ大統領は、人道的見地や自国民保護の必要性を理由に挙げたが、「イスラム国」に近いイラク北部アルビルは石油メジャーの開発拠点であり、経済利権を死守する意味合いが大きいことは周知の事実。そう、あの悪名高いイラク戦争とまったく同じカラクリなのだ。しかし、まるでそれを覆い隠すように世界の警察官アメリカが「悪の集団をやっつける」という分かりやすい構図を前面に打ち出している。
◆CIAの“水責め”拷問を模倣
アメリカ人ジャーナリストが殺害された際に、オバマ大統領は「イスラム国」を「癌(がん)」と呼んで非難したことからも、それはあまりにも明白なように思われる。だが、そもそも「イスラム国」の台頭を招いたのは、アメリカの泥縄的な外交政策(失策)のせいだといわれる。自分の思うように事が運ばなくなった途端、圧倒的な軍事力を背景に相手をねじ伏せるというのは、どこか既視感のある光景ではないだろうか。
ゼロ・ダーク・サーティ」(’12)で見事に映し出されている。
映画は、米中央情報局(CIA)の女性分析官マヤ(ジェシカ・チャステイン)が、アルカイダによるテロや仲良くなった同僚の死などを乗り越えて、ビン・ラーディンの居所を突き止めるまでを臨場感たっぷりに再現してみせる。ただし、アメリカに不都合な真実は一切説明されず、ヒーロー/ヒールの対立だけが強調されるので、CIA全面協力のプロパガンダという評価が定着している。
驚くべきはファーストシーンに9.11の被害者の肉声を引用した後、アメリカが公式には否定している“水責め”の拷問シーンが出て来るところだ。人質を縛り付けた上で顔に布をかぶせ、その上から水をジャブジャブと注ぐ。情報を聞き出すためとはいえ、ほぼ呼吸ができなくなるので、溺れ死ぬような苦痛に見舞われるという。
これについては皮肉な話ではあるが、後に「イスラム国」がこの手法を真似していたことが明るみに出た。
米紙は、「水責めは’01年の米同時多発テロ事件後に拘束されたテロリスト容疑者たちに対する尋問の最中に米中央情報局(CIA)が使用し、拷問的手法だとして各方面から糾弾された」(「イスラム国、拘束の欧米人を『水責め』で拷問 米紙報道」’14年8月29日付AFPBB News)と説明し、「イスラム国」の内情に詳しい匿名の情報筋の話として、「イスラム国はCIAが行った水責めのやり方を『正確に知っていた』」(同上)とした。
なんと、アメリカ発の拷問をお手本にしていたわけだ。
◆再現される「グアンタナモ」の悪夢
それだけではない。
殺害されたジャーナリストが着させられていた服は、キューバのグアンタナモの囚人と同じオレンジ色のつなぎなのだ。イギリス映画「グアンタナモ、僕達が見た真実」(’06)は、アルカイダのメンバーと間違われて拷問されたパキスタン系イギリス人青年3人の実話に基づいたもので、人権侵害のデパートのような凄まじい手口の数々を告発しているが、確かに収容者の大半は9.11やビン・ラディーンと無関係の者だった。
ここでも模倣は徹底されており、グアンタナモの悪夢と二重写しになる。「我々はグアンタナモで行なわれたことを忘れないぞ」とでも言いたげである。
しかしながら、アメリカは常に過激派組織と敵対しているわけではない。逆に言えば、その一貫性のなさ、出鱈目さがすべての元凶でもある。
軍事ジャーナリストの田岡俊次氏は、アメリカがシリアのアサド政権を打倒するため、イスラム国に米中央情報局(CIA)が武器を供与し、ヨルダンで訓練中、との報道が米英で出たことについて触れ、当時「『自由シリア軍』は弱体化し、『ヌスラ戦線』はアルカイダ系、クルド人はシリア政府に懐柔されたから、CIAなどがシリアで支援する相手としては『反アルカイダ』のイスラム国(ISIS)しかなかったのだろう」と述べた(「『イスラム国』との戦いが我々に示す 戦いは始まればエスカレートするもの」’14年10/30付ダイヤモンドオンライン)。
アルカイダの前身も元をたどれば、80年代アフガニスタンの対ソ戦でCIAなどから支援を受けていたのだ。要するに、たまたまその時の外交政策に噛み合っていたら味方、噛み合ってなければ敵という話なのだ。
つまり、取って付けたような善悪二元論がウソっぱちなのはアメリカ自身が一番よく知っている……。
◆アラブ人=テロリストという印象操作
ハリウッド映画は、9.11以降の実録路線の作品よりずっと前からスクリーンの中で「アラブ人=テロリスト」という印象操作を意識的かは別にして行なって来た経緯がある(村上由見子「ハリウッド100年のアラブ―魔法のランプからテロリストまで」朝日新聞社)。
とりわけアーノルド・シュワルツェネッガー主演の「トゥルーライズ」(’94)や「エグゼクティブ・デシジョン」(’96)などの娯楽大作の影響力は大きい。「エグゼクティブ・デシジョン」は、アラブ人テロリストが旅客機をハイジャックし、アメリカ本土に攻撃を仕掛ける話だが、数年後の9.11で不幸にも先取りすることとなった。
これは、いわゆる“刷り込み”の一種であると言われている。善悪二元論が受け入れられやすい素地作りに加担していると言っても過言ではないだろうか。
そして、実際にテロ事件が起こるとネガティブイメージはさらに増幅され、果てはイスラム教そのものに問題があるのではといった誤解まで生み出している。その半面、いかに米軍が誤爆や巻き添え被害により何千にもの市民を殺害しようとも、「ゼロ・ダーク・サーティ」のようなエンタメ作品におけるヒーロー像の方が強烈な印象を残すのだ。
CNNは「米地上軍の派遣に賛成する米国民が増加」と報じ、「今回調査では45%を占め、9月の調査時より7ポイント上回った」(「米国民、ISIS掃討で地上軍派遣の支持拡大、世論調査」’14年10/30 CNN)としたが、これこそハリウッド的な世界認識とメディア・バイアスの産物と言えるだろう。
◆コードネーム“ジェロニモ”の衝撃
’01年に起きた、9.11以降、実は政治的配慮ゆえに多くの映画が悪玉を挿げ替えた。
ベン・アフレック主演の「トータル・フィアーズ」(’02)は、核テロの恐怖に迫ったサスペンス大作だが、原作のアラブ人テロリストから国際右翼のような現実味のない設定に変更された。これは原作者のトム・クランシーも認めている。
つまり、荒唐無稽(?)なエンタメ作品では中東系のテロリストの出番は少なくなったのだ。それはイラク戦争後も変わらない。ホワイトハウス占領を題材にした「ホワイトハウス・ダウン」(’13)と「エンド・オブ・ホワイトハウス」(’13)の2本も、それぞれ順に過激な国粋主義者ら、北朝鮮のテロリストを悪玉に持って来ていて非常に興味深い。以前ならばあり得なかったことだ。
しかし、これはこれで問題がある。イラク戦争や“テロとの戦い”をテーマにした実録路線の映画にはむしろ頻繁に登場するからだ。しかも、サウジアラビアを舞台にしたFBIとテロリストがせめぎ合う「キングダム/見えざる敵」(’07)に代表されるように、ドキュメンタリータッチの演出が多用されている分、妙に説得力と言うか真実味があると思わせられてしまう。
話を「ゼロ・ダーク・サーティ」に戻すと、ビン・ラーディンのコードネーム(暗号名)は、20年近くもアメリカの入植に抵抗していた最後のアパッチ族の名前 “ジェロニモ”なのだ。これはある意味滑稽である。
ひょっとしたら、もっと事情は単純なもので、アメリカ人は西部開拓時代のメンタリティを引き摺り続けているだけなのかもしれない……。
文/真鍋 厚
この独善的な傾向は、9.11の首謀者とされるウサーマ・ビン・ラーディン暗殺を描いて話題になったアクション・サスペンス大作「
『テロリスト・ワールド』 なぜ、それは〈テロ〉と呼ばれるのか? |
『ゼロ・ダーク・サーティ コレクターズ・エディション』 実話に基づくビンラディン暗殺の真実を描いたサスペンス |
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