WCWの“身売り”とECWの倒産はふたつでひとつの事件――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第332回(2001年編)
21世紀がはじまったとたん、アメリカのレスリング・シーンに巨大な地殻変動が起きた。
WWEと並ぶ2大メジャー団体のひとつ、WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング=ジョージア州アトランタ)の“身売り”が決まった。そして、ECW(エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング=ポール・ヘイメン代表)がついに“活動休止”に追い込まれた。
2001年1月11日の時点でWCW買収を“正式発表”したのは、ニューヨークに本社を置く投資グループ、フュージェント・メディア・ベンチャーズ社(以下フュージェント社)で、WCWは同グループ企業のプロレス事業法人として再スタートを切るはずだった。
フュージェント社がアメリカの主要メディア――日本のプロレス・マスコミにも資料を送付――に配布したプレスリリースによれば、団体名はWCWのままで、新体制の社長にはエリック・ビショフ前WCW副社長が就任すると記載されていた。
WCWの“身売り”は、基本的には親会社であるテッド・ターナー・ブロードキャスティング・システムズ社による赤字部門の切り離し作業だった。
ターナー・グループのタイムワーナー社への吸収合併、そのタイムワーナー社とAOLの大型合併というアメリカ国内のメディア再編の動きのなかで、新たに誕生したコングロマリットの傘下企業のそのまた傘下企業にあたるWCWは、負債7000万ドル(約77億円=推定)を抱えたまま“自由市場”に放り出された。
フュージェント社がいったいいくらでターナー・グループからWCWを買いとることになっていたかはついに明らかにされることはなかった。WCWを存続させるためにスポンサー獲得に奔走したのはビショフだった。
CNNニュースのインタビュー取材を受けたフュージェント社のブライアン・ビードルCEOは、WWEとWCWの関係を「コカ・コーラとペプシ。どちらもブランド」と分析した。
オーナーシップが代わっても“マンデー・ナイトロ”の放映権はターナー・ブロードキャスティング社が継続して保有し、毎週月曜夜のプロレス番組はこの買収が成立後もそのまま放映されるはずだった。
新体制による再スタートはこのニュースの“正式発表”から“60日以内”に設定され、選手とスタッフはこの60日サイクルのなかで契約更改(または契約解除)をおこなうことになっていたとされるが、いったいにどこでなにがどうなったのか、このディールはいつのまにか空中分解した。
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