WCWの“身売り”とECWの倒産はふたつでひとつの事件――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第332回(2001年編)
いっぽう、ECWはこれまでも何度か危機説がささやかれていたが、こんどというこんどこそヤバい状況に陥っていた。メジャー団体として運営していくには会社がちいさ過ぎて、インディペンデント団体としてこぢんまりとやっていくには大所帯になり過ぎたということらしかった。
入ってくるマネーが大きくなると、出ていくマネーも大きくなった。ツアー日程を拡大してみたら、選手とスタッフがプロレスの興行以外の仕事に費やす時間が莫大になった。
毎週2本のTVショーをプロデュースするようになると、ボスのポール・Eことポール・ヘイメンがスタジオにこもりっきりになった。ポール・Eが電話に出なくなると、アシスタント・プロデューザーのトミー・ドリーマーにかかる負担が大きくなった。
ハウスショーのプロモートからテレビ番組制作、グッズ部門の制作・販売、PPVプロデュースまでが止めることのできない“自転車操業”になっていった。やってもやっても仕事はいっこうに終わらないのに、経営は悪化するばかりだった。
それでも1.7PPV“ギルティー・アズ・チャージド”ニューヨーク大会は予定どおり開催したし、3月11日にも次回PPVのスケジュールを組んでいた。
ハウスショーの日程については、1月13日にアリゾナ州パインブラフというあまり聞きなれない町でおこなわれた試合をもって“ブッキング表”は空欄のままになった。この日が事実上のECWの最後の興行だった。
ECWの運営会社HHGコーポレーションは、市場評価額138万5500ドルに対して累積赤字888万1435ドルを算出して活動休止。倒産による損失は750万ドル(約8億2500万円=当時)。ヘイメンはその後、自己破産を申請した。
WWEは前年2000年にハウスショー210興行をプロデュースし、延べ230万人の観客を動員し、約7200万ドル(約79億2000万円=推定)の興行収益を計上した。WWEは興行部門ではすでに独走状態に入っていた。
WCWの“身売り”はプロレス団体のブランド性、市場イメージ、広告価値が問われたメディア的な“投資ドラマ”で、ECWの“解散”は企業スポンサードを持たないインディペンデント団体が独立採型のビジネスモデルとして存続できるかどうかのケーススタディだった。
WCWは巨大グループ企業の赤字部門として親会社から“削除”され、大きくなりかけたECWはバランスを失って内側から壊れた。どちらのケースもTVショーの画面にその行きづまりと閉塞感がはっきりと表れていた。
アメリカという国では、テレビの画面に“キラキラ輝いた”状態で映っているものだけが現実としてトリートされるのだった。
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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