ビンス・マクマホンが“世界征服”に成功した日――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第336回(2001年編)【完結】
それはビンス・マクマホンがついに世界征服に成功した日だった。
WWEのライバル団体WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング=ジョージア州アトランタ)は、2001年3月26日、フロリダ州パナマシティー・リゾートで開催されたテレビ撮りをもってその12年5カ月の短い歴史にピリオドを打った。
月曜夜のTVショー“マンデー・ナイトロ”の番組オープニングと同時にビンスの自信に満ちた笑顔が画面いっぱいに映し出された。
「WCWの運命……その運命は、わたしの手のなかにある」
WCWの“マンデー・ナイトロ”(TNT=ターナー・ネットワーク・テレビジョン)にチャンネルを合わせても、WWEの“ロウ・イズ・ウォー”(TNN=ザ・ナショナル・ネットワーク)にチャンネルを合わせても、そこにはビンスが立っていた。
月曜夜のふたつのプロレス番組はその夜、二元生中継になっていた。ビンスは「わたしはWWEのオーナーであり、WCWのオーナーでもある」と宣言し、カメラをにらみつけた。
WWEはこの3日まえ(2001年3月23日)にWCWを買収した。買収金額についてはさまざまな憶測が流れ、当初は430万ドル程度ではないかと推定されたが、じっさいにはそれよりもさらに安い250万ドル(約2億7500万円=当時)だったことがあとになってから判明した。
WCWの親会社AOLタイム・ワーナー社は、年間6200万ドル(約68億円=当時)の赤字をタレ流していた“プロレス事業部”の切り離しを断行した。
前年12月、WCWのもともとの親会社にあたるTBS(ターナー・ブロードキャスティング・システムズ)の新CEOに就任したジェイミー・ケルナーは「局イメージにそぐわない」としてターナー系各チャンネルの番組編成表からすべてのプロレス番組を“削除”してしまった。ビンスはWCWの“下取り”に手をあげた。
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