更新日:2023年03月12日 08:45
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初期衝動でスプレーを持って街に出た男。彼に待ち受けていた「代償」と「制裁」<グラフィティの諸問題を巡る現役ライター・VERYONEとの対話>第4回

 今年1月の「バンクシー(Banksy)騒動」に端を発した、グラフィティ・ライターVERYONEと門外漢としてグラフィティを知識なく撮影してきた記者の奇妙な対話のこのシリーズ。いよいよ、VERYONEがなぜグラフィティをするようになったのかが明かされる。 「落書き」自体の歴史は、クロマニョン人が描いたとされる2万年前のラスコー洞窟壁画(フランス)、1万8000年前のアルタミラ洞窟壁画(スペイン)までさかのぼれるかもしれない。そして、街中に「グラフィティ」が出現するようになったのは、1970年代のアメリカ・ニューヨークが最初だと言われている。  グラフィティにはもちろん絵も含まれるが、「名前を残すゲーム。文字を書くのが一般的なアートとの違い」というヴェリーさん(VERYONE)のグラフィティの定義に従うならば、約6000年前に古代のシュメール人が世界最古の文字と言われる絵文字を粘土板に刻んだ頃にも、現在のイラクあたりで似たようなことが行われていたかもしれない。もちろん、何の証拠もないし、粘土板に文字を書いていたので壁に書くのは難しそうだし、さらに文字の発祥の歴史にも諸説あるが、私が確実な歴史的事実として記述できるのは「ヴェリーさんが最初に街なかに文字を残したのは今から23年前の1996年」ということだ。 「16歳か17歳の頃、僕はヒップホップのDJをやっていて、その関連の情報をずっと収集していたんですね。で、『ワイルド・スタイル』っていう映画があるんですけど、ヒップホップの映画だと思って買ってきて観てみたら、ほぼほぼグラフィティの映画やったんです。ちょっとがっかりしつつも影響を受けて、その日のうちに家にあったスプレーを持って、外に出たのが最初ですね」  なぜ家にスプレー缶があったのかは謎だが、それから23年、ヴェリーさんはすでに「レジェンド」と呼ばれるほどのキャリアを持つグラフィティ・ライターとなり、アメリカやアジア圏のグラフィティ・ライターと交流しながら世界各地で作品も書き、現在は合法な活動に移行し、個展なども行うようになっている。

VERYONEが参加している2人展の会場で見かけたスプレー缶。本人のものかどうかは聞きそびれた

 だが、最初に西日本のどこかの街なかに書いたものは「何を書くとかも知らなかったので、適当になんかかっこよさそうな単語を書いてました」という。そして、もちろん初期のヴェリーさんの活動はイリーガルだった。このことに対しては多くの人が疑問を持つだろうし、「不法行為だ」と指弾する人が大半だろう。私もかねてから疑問だったので、「もしも自分の家に書かれたら腹が立つし、イヤだ」と言うと、ヴェリーさんは「そうですね」と同意した。では、その「初期衝動」で街なかにスプレーをし始めたその夜、「逮捕されるかも」とは思わなかったのだろうか? 「いや、もうそれ以上に『カルチャー』を増やそうというか、根付かせていこうっていう頭が強かったんで、もう法律は見えてへんし。でも、その後も僕が知ったカルチャーを自分の中で進めていくっていうことしか考えていなかったんで。それでずっと来ているんですね」  この連載を始める前、ある芸術家が美術関連の公開トークでグラフィティについて語っていたことを思い出した。その人物曰く、「私が接しているグラフィティをやっている人たちは、ある意味、動物的というか、一緒に歩いていても書ける場所があったらすぐに書いちゃう。私だったら『逮捕されるかも』とか『少なくとも、僕の目の前ではやらないでよ』とか考えちゃうんですけど、彼らと話しているとまったく気にしていないみたいなんですよね」とのことだった。だが、「まったく気にしていない」というのは、半分合っていて、半分違う。
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ヴェリーさんの「お仲間」の言葉に含まれていた感情
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現在、VERYONEが大阪にて二人展に参加中。
『コンフティレイヤー シンクロニシティする異文脈』
VERYONEとTai Ogawa/小川泰
大阪市中央区千日前2-3-9味園ビル2F
「TORARYNAND」にて開催中
3月2日(土)~3月29日(金)
水木金土開場19:00~last エントランスフリー(1D別途)

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