乃木坂46の新曲「しあわせの保護色」、個性を放棄した心地よさ
毎日のように新曲が生まれる昨今。ストリーミングやサブスクリプションの普及もあり、アーティストたちは埋もれないようにキャラをたてるのに必死だ。
そんな中、乃木坂46の最新シングル「しあわせの保護色」(3月25日リリース)は、驚くほどにのどかな楽曲だ。
たとえば、ももいろクローバーZの「Re:Story」や、BiSHの「オーケストラ」を聴けば、並々ならぬ音楽への情熱がこめられていることが分かる。ありとあらゆるポップスの要素を分解して、再構成するももクロの試みは、プログレポップスとも呼べるだろうし、歌のメロディを崩さないギリギリのラインでパンクロックを追求するBiSHのテンションは際立っている。
この2組に限らず、たいがいのアイドルグループはサウンドやコンセプトで“競合他社”との差別化を図るものだ。
だが、「しあわせの保護色」からは、そうした野心が一切伝わってこない。悪い意味で言っているのではなく、きょうび、これほどまでに惰性が心地よい音楽は珍しいのだ。若い女性をしいたげるように高いキーを設定するでもなく、心肺を痛めつける激しいダンスがあるわけでもない。鼻にかかった甘ったるい発声ではなく、ニュートラルな語り口調で歌っている点も好ましい。 「ファ」と「シ」を省いたヨナ抜き音階に、予定調和のコード進行。無駄に盛り上がらず、過度に冷め切らない。低い温度のまま、いい塩梅のリラクゼーションが心地よい。魂を抜いたお散歩みたいなテンポで、すべてが展開されているのである。 ここまで個性的であることを放棄したポップスには、なかなかお目にかかれない。
そこでどうしても考えてしまうのが、K-POPとの比較だ。一般に、日本のアイドルは韓国に比べて実力が劣っていると言われる。確かに、BTSやBLACKPINKのパフォーマンスを見れば、認めざるを得ない。実力差が、そのまま欧米でのシェアで惨敗を喫している現状につながっているとの分析も、その通りなのだろう。
それでも、たとえ“ガラパゴス”と揶揄されようとも、「しあわせの保護色」のような楽曲が生まれる土壌は、捨てたものではないと思う。何らかの意図や目的が作風にあらわれると、聴く方もかまえてしまう。ギラついた音楽ばかりでは、疲れるからだ。 思わず引き込まれてしまう、純粋な空洞。“ふつう”の恐ろしさを、乃木坂46は教えてくれるのだ。 <文/音楽批評・石黒隆之>音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
昭和40年代の歌謡曲を知っている人なら、これが筒美京平をオマージュした、モータウン風のポップスだとすぐに気づくだろう。あえて言うなら、ここには新しさも、実験的要素も、気合いもない。
野心を感じさせないポップスの心地よさ
だが、「しあわせの保護色」からは、そうした野心が一切伝わってこない。悪い意味で言っているのではなく、きょうび、これほどまでに惰性が心地よい音楽は珍しいのだ。若い女性をしいたげるように高いキーを設定するでもなく、心肺を痛めつける激しいダンスがあるわけでもない。鼻にかかった甘ったるい発声ではなく、ニュートラルな語り口調で歌っている点も好ましい。 「ファ」と「シ」を省いたヨナ抜き音階に、予定調和のコード進行。無駄に盛り上がらず、過度に冷め切らない。低い温度のまま、いい塩梅のリラクゼーションが心地よい。魂を抜いたお散歩みたいなテンポで、すべてが展開されているのである。 ここまで個性的であることを放棄したポップスには、なかなかお目にかかれない。
ギラついたK-POPにはない、“ふつう”感
それでも、たとえ“ガラパゴス”と揶揄されようとも、「しあわせの保護色」のような楽曲が生まれる土壌は、捨てたものではないと思う。何らかの意図や目的が作風にあらわれると、聴く方もかまえてしまう。ギラついた音楽ばかりでは、疲れるからだ。 思わず引き込まれてしまう、純粋な空洞。“ふつう”の恐ろしさを、乃木坂46は教えてくれるのだ。 <文/音楽批評・石黒隆之>音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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