〈西村賢太氏追悼〉「小説以外に興味は何もないと自覚したとき、他の一切が無駄に思えた」
芥川賞作家の西村賢太氏が2月5日に東京都内の病院で死去した。54歳。無頼派私小説作家として筆を揮った西村氏は、中卒で肉体労働に従事しながら古書店に通い、大正期の作家・藤澤清造に心酔、月命日の墓参は欠かさなかった。特異な人生を歩み続けてきた西村氏の人となりとは? 週刊SPA!は昨年「中年のお悩み白書」特集で、西村氏と芸人・山田ルイ53世氏の対談を実施。中年期を迎えてからの西村氏の人生観・死生観を伺える内容となっている。謹んで故人のご冥福をお祈りするとともに、あらためて掲載する。
西村:僕は(芥川賞を受賞した)40代のときはものすごく元気だったんです。しかし、50代に入ると気持ちに変化が出てきた。先が見えて、今後自分の人生に劇的な変化が起こらないことも、くっきり見えてしまった。
気力や体力が今のレベルを保っていられるのは、運が良くてせいぜい10年。もう人生の日は暮れようとしている。それなのに、まだ書きたいことは山ほどあるし、何も残せていない。そう思い至ったとき、50歳になって、ようやく「真剣に生きる」ことを具体的に意識し始めたんです。
山田:夏休みの最後の1週間になって、めちゃめちゃ宿題頑張るみたいな感じですね。中年になって考え方が変わったという点では、僕も同じかもしれません。30代の頃は「俺は一発屋じゃない。このまま終わるわけがない!」という反骨心がまだありましたが、40歳を過ぎてからは、「もう、冷蔵庫の中のありもんでやるしかない」というふうに変わりました。
でも、それは決して悪いことじゃないと思うんです。「年を重ねること=自分の可能性を潰していくこと」と気づいたとき、「じゃあ、自分にできることを丁寧にやるしかない」と肩の荷が下りたような気がしました。自分から“一発屋”と言えるようになったのも中年に差しかかってから。「諦めること」って、人生においてはすごく大切な要素だと思います。
西村:可能性や多様性のあることが一概に善であるかのような風潮は、ちょっと違うと思いますね。事と次第によります。人生の残り時間が少なくなって「小説以外の興味は何もない」と改めて自覚したときに、他の一切が無駄に思えて、切り捨てることができました。
山田:ワークライフバランスという言葉も、「仕事はほどほどにする代わりに、家庭や趣味を充実させてね」って圧というか「結局充実させなアカンの?」と思ってしまう。
自分は中学2年生から6年間ひきこもっていたのですが、そういう話をすると決まって、「やっぱりその時期があったから、今があるんですよね!」みたいに言われる。でも、今でもその6年間は“完全なる無”だったと後悔しています。あくまで自分の場合はですが。
何でもポジティブ変換というのもしんどい。別に仕事もやれることはやればいいし、趣味だってなくてもいい。週末もキラキラしてない、でも生きてる。それでいいじゃないですか。
西村:向上心や好奇心って、そんなに持たないといけないものなのでしょうか? 僕の場合、家庭の事情で中学を卒業した2日後に家出をし、そこから職と住を転々としましたが、生活するだけで精いっぱいで、「人生を充実させよう」なんて思う暇もなく年をとりました。お金だっていまだに貯金もなく、毎日生きていくのがやっとだけれど、別に不安や不満はないですよ。
山田:そもそも「生きる」って、結構大変じゃないですか。だから、西村先生や自分なんかは、旅行でもスポーツでもなく「生きることが趣味」という感覚ですね(笑)。
「50歳から『真剣に生きる』ようになった」西村賢太
「『趣味は生きること』で、何も悪くない」山田ルイ53世
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