「街の青果店」から業界人も注目の店に。転機はサーフィン仲間の叱咤激励
古くから地域に根ざし、商店街に佇む個人商店(個店)。いわば地域社会を支える存在として、個店は街の住民に愛されてきたわけだ。
だが、近年は地域経済の縮小や後継者不足によって、個店の減少が余儀なくされている。そんななか、昔ながらの個店の雰囲気は保ちつつ、新しい風を果敢に吹き込む青果店がある。
成瀬さんが20代〜30代前半までの頃は、仕事よりも遊びの方が優先順位が高かったという。実家の果物屋を手伝いつつ、いくつか仕事をこなしながらお金を稼ぐ。
そして貯金がある程度貯まったら、家を離れて山に籠る。いわゆる“自由人”としての生活を長く送っていたそうだ。
「仕事もするけど、サーフィンやスノーボードといった遊びの方が大好きで。父親からも『無理して継がなくてもいいから』と言われていて、自由に好き勝手やらせてくれたんです。でも今思えば、そうやって好きなことをやらせてもらったからこそ、今のフタバフルーツがあると思っていて、親に感謝の念しかありません」
当時はそこまで青果店を継ぐことに対して、前向きに考えてはいなかったという。
そんな成瀬さんの考えを変えるきっかけになったのは、奇しくもサーフィン仲間の先輩からかけられた言葉だった。
「ある日、先輩の車に連れられて、海に向かっている途中にふと『大輔は将来どうするの?』と言われたんですよ。私自身、そんなに青果店への思い入れがなかったので、『果物屋じゃなくて、社交場みたいなものをやりたい』と答えたんです。
そしたら、先輩から『父親のやり方を見ただけで、青果店は時代遅れだなんて思わない方がいい。せっかく先代が築いてきた歴史を、ただ面倒くさいという理由だけで終わらすのか、自分がとことん向き合って終わらすのかでは全然違う』という助言をもらったんですが、これが非常に衝撃的で。自分のやり方を考え、自分なりに工夫を凝らして青果店をやるという発想がなかったため、先輩の言葉がきっかけで吹っ切れることができたんです」
この出来事が契機となり、成瀬さんは自分らしく青果店をやろうという意識が芽生えたとか。
そして、2006年に先代からフタバフルーツを継ぎ、3代目として青果店を切り盛りしていくことになるのだ。
西武新宿線沿線の都立家政駅近くに構えるフタバフルーツだ。青果店らしからぬ取り組みを仕掛けているのは、3代目の成瀬大輔さん(52歳)。
サーフィンやスノーボードといった、“横ノリ”カルチャーに造詣が深く、まるで波に上手く乗るかのごとくビジネスを広げてきた。単なる街の青果店から脱却を図った異色の経営術に迫った。
30代前半までは仕事よりも遊びに熱中していた
サーフィンの先輩から言われた言葉が家業を継ぐきっかけに
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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