10日間の瞑想で学んだこと―― 小橋賢児「インドの瞑想道場とアメリカのバーニングマンに共通点する精神とは」
2015年の夏、日本中でもっとも熱かったダンスミュージックフェスティバル「ULTRA JAPAN」は、一人の男の熱狂から始まった。周囲の反対を押し切って開催したイベントは成功し、巷間に伝導したころ、その男はバックパック一つでひっそりと旅立つ。
【僕が旅に出る理由 第3回】
ムンバイから約1時間半くらい車で走ったところにその瞑想センターはあった。
ここまでは昨日買い物に行くのに乗せてもらったタクシードライバーの計らいで、かなり安い値段で来ることができた。途中、お腹も空いたのでそのドライバーおすすめのローカルレストランに立ち寄った。辺りは明らかに観光客がいる気配もなく、人々はヒンディー語で話を交わし、車やリキシャ(バイクで客を乗せる乗り物)のクラクションが鳴り響き、まるで最先端のセンサーでも身体についているかのように、絶妙なタイミングで人と車の間をすり抜ける。
その道を歩く人々の間に物乞いの親子は陣地をつくり、牛や犬が完全に共存してるかのように放し飼い状態で路上をのさばっていた。慣れていたつもりだったが日本では想像できない雑多な雰囲気にちょっと圧倒されてしまい、一瞬とはいえ昼飯を食べてる間にこの車に荷物を残すべきかどうか迷ってしまった。
ここがどんな場所かわからない…
この駐車区域を管理してるこの男も信用ならない…
もっというとこのドライバーも昨日会ったばかりだ…
というように、警戒心というのは異国の場所で考えだしたらキリがない。
まぁ現金やパスポートは手でもってるし、最悪荷物がなくなっても何とかなるだろう!と思いつつ、車が見える席に着いたのは言うまでもない。席についてメニューを見たのだが全てヒンディー語で書かれていて内容がさっぱりわからない。唯一わかったのはレストランの看板にあったPure Veg(完全菜食)ということだけだ。そうインドは世界一ベジタリアン人口が多く、店のメニューもVeg、Non Vegにわかれていたり、もっというとNon Vegの人とは一緒になりたくないらしく、完全にベジタリアンオンリーのお店もある。
とにかくその店では運転手おすすめのターリー(様々な種類のカレーが入ってる定食みたいなもの)を頼むと、運転手はトイレにいった。
一瞬トイレにいくってウソついて車でいなくなる気では?と想像してしまったが、まさか代金払ってないのに逃げる訳がないと自分に言い聞かせる。
しばらくして運転手が戻ってくるとターリーがでてきた。運転手は器用に右手だけでチャパティ(ナンのようなもの)を切ってはターリーにつけて食べ始めた。インドではトイレの時に溜まった水をカップのようなものですくい左手でお尻を洗うので、左手は不浄、右手は神聖と言われている。
僕も真似をして右手だけで食べようとしたが、どうも上手くいかない。すると運転手が見るに見かねてか、こうやってきればいいだろうとばかりに僕のチャパティを両手でつかみバラバラにちぎりはじめた…
ちょっちょっとーその左手…しかも今トイレにいったばかり…
一瞬泣き叫びそうだったが、何とか心の中でぐっとおさえて我慢した。仕方ないここは日本ではないインドなのだからと。
そうして何気ない顔しながら運転手は再び食事をはじめ、なぜか身の上話をし始めた。「実はこのタクシー用の車は購入したばかりでこれから稼がなきゃならないんだ」と、嫁と子供の写真を見せられ、「この嫁が本当に怖いんだよ…」と愚痴を言い始めた。
まぁそういうところはどこの国でも同じだなぁっと思いつつ、いくらベジタリアンでも悩んだりストレス溜まったりするんだなぁっと同時に思いつつ、仕方ないのでランチは僕がご馳走してあげることにした。
荷物の無事を確認しつつ、その場をあとにし、そこから数十分ほど車を走らしてようやくセンターに到着した。
今日は2015年の12月30日。
なにも年越しをまたいでまで瞑想道場に入らなくてもいいのだが、世間がHappy New Yearと祝杯をあげてるときに静かに沈黙に入るのもちょっと面白いかなぁっとM心がくすぐられてしまったのと、連日の忘年会での不摂生を、これからはじめる10日間の規律の厳しい生活で何とかプラマイゼロにしようとしていたのも実のところはあった。
このヴィパッサナーセンターでは約10日間に渡り規律厳しく、規則の正しい生活を強いられる訳なので否が応でも心身は正されるといわけだ。
ちなみに、コース期間中は以下の5つの戒律を守らなくてはならない。
1. いかなる生き物も殺さない。
2. 盗みを働かない。
3. いかなる性行為も行わない。
4. 嘘をつかない。
5. 酒や麻薬などを摂取しない
その他、PCや携帯など気になるものは全て預け、読み書きはもちろん、他の生徒との会話や目を合わせる事さえも一切禁止される。また、あらゆる宗教者であっても参加する事は可能ではあるが、期間中はいかなる事情でも信仰儀式は禁止される。ひたすら、意識で身体を観察し続けるのだ。
朝4時に起床して、夜の9時半まで瞑想。質素な部屋だがシャワー、トイレ、ベッドにシーツ、枕、タオルまであてがわれ朝食、昼食はセンターのボランティアの方が用意してくれた菜食中心のものを食べる。途中数回の休憩があったり自分の部屋に戻ることも許されるが、一日3回計3時間は必ずみんなと一緒に瞑想をしなくてはならない。夕方は基本的にドリンクとフルーツ程度に控え(古い生徒はレモンウォーターのみ)、夜はこの瞑想法をインドから世界に広めたゴエンカ師の講話を聞く。夜10時には完全就寝という日が9日間続き、10日目の朝にその沈黙がとかれる。
最初の3日間は鼻孔を通る呼吸だけにひたすら意識を集中し、その後意識を全体に移し、体のパートを一つずつ観察していくのだが、それがなかなか難しい。呼吸に意識してもふと気づくと意識が全然違うところにいってしまい、1分も集中する事が出来ない。
「あぁこないだのイベントは本当に楽しかったなぁー」と過去を思い出しては想い出に浸り、ふと気づくと「おっ良いアイデア思いついた!次はもっと楽しくなるぞ!」というように意識はいきなり未来へ飛んでいってしまう。
同じようにネガティブなことであっても「こないだの案件で先方に迷惑かけちゃったかもなぁ…」と過去を思い出し、「よし、帰ったらちゃんと詫びを入れにいこう」と未来へ飛ぶ。
こんな風に意識は過去から未来、未来から過去へと飛んでしまい、今という瞬間に人はほとんど生きていない事に気づかされる。
試しに1分でいいので目をつぶって鼻孔を通る呼吸にだけに集中してみてほしい。正しい指導の元で瞑想は行われないといけないので具体的な瞑想法はここでは書けないが、きっと少しは理解してもらえると思う。
この瞑想センターでは、長年してきてしまった「心の癖」を取り除く訓練をするために集中した時間をもち、あえて厳しい規律をつくっているそうだ。とはいえ毎回1時間の座禅なんて本当に苦痛だし、30分で身体中のいたるところが痛みだす。しかし、その度にその痛みに反発してはいけません。ただ観察しましょうと言われてしまう。そんなの痛いんだから無理だよ…と心の奥底から叫びたいが声を出すのは禁止されている。
すると、「痛みも心地よさも全ては産まれてはいつか消えていきます。嵐がきても冬がきても自然にある木々は微動だにせず、やがてじっとすると春がやってきて花が咲く、そしてまた花は散ります。全てのものは無常なのです。それが自然の摂理、法なのです」と言われる。
とはいえ、痛いものは痛いし、かゆいものはかゆい…!
するとまたこうも言われる「それらの痛みは全て自分自身が過去作り出したものなのです。その痛みの感覚を意識した事でいまこうして奥底から出てきたのですから、それをただただ平静に観察してしましょう。全ては産まれてはいつか消えていくものに嫌悪したり執着することに何の意味があるのでしょう」と……。
言ってることはわからなくはないのだが、なかなかそんな簡単には出来ない。。。そして、今度は睡魔がおそってくる。意識は過去と未来を行ったり来たりするわ、痛みはあちらこちらにくるわ、少し気を抜くと睡魔はおそってくるわで、とても平静に瞑想なんてできっこない。
聞くところによると誰でも最初はこのような症状に遭遇するので、ここで諦めてしまうと一体なんだったのか本質もわからずこの瞑想法を無駄にしてしまうらしい。
そうこうしている内に長い1日が終わろうとして、もう嫌だなぁなんて思っていたところでゴエンカ師の講話を聞かされて、なんだか毎度納得されてしまうのだ。例えばその講話ではこんな話があった。
ゴーダマ・ブッダが存在していた頃、何年も毎日のようにそのブッダの講話を聞ききにきていた若者がいたという。ある日、その若者はブッダのところにやってきてこんな質問をした。『僕はここ何年も毎日のように通い、お師匠様の話を誰よりも聞いているつもりなのですが、僕の中の穢れは一切とれず、ここにきている他の方々はみるみる変わっていっているのは何故なんですか?』
するとブッダは優しくこうこう質問する。
ブッタ:あなたが産まれた場所はどちらですか?
若者:ここからかなり離れたXXXという村ですが。
ブッタ:ではあなたはそこまでの道のりを説明することはできますか?
若者:当たり前じゃないですかお師匠様。自分の村への行き方くらい事細かに道を説明することができます。
ブッタ:それではわたしがその道を聞いて今すぐその場所にいけますか?
若者:いやたとえ行き方がわかっても、その道を自分で歩かなければどうやってそこに辿りつけるというのですか…あっ!
ブッタ:そうです。今まさにあなたがおっしゃった通りで、たとえその道を理解したとして、一歩ずつ自分の足で歩まなければそこへはたどりつけないのです。
当たり前のような話だが、僕もこれを聞いてハッとさせられてしまった。
本を読んだり、ニュースをみたり、あるいは先輩や親などから素晴らしい教えを聞いてとして、それを実践、自分で行動しなければ何も意味がない。
美しい山の上からの景色は自分の足で歩いて登るから心から本当の美しさがわかるのであって、ただヘリコプターで頂上に連れていかれたところで心から感動という程でもないだろう。同じようにただ想いをめぐらせたり、お祈りをするだけでは意味がなくそこに実践が伴わなければならない。そんなの当たり前だよ~と思うかもしれないが、そんなシンプルで当たり前の事も日々に忙殺され見えなくなったり、情報で錯覚を起こし、世の中がわかったような感じになっていってしまうのが現代だ。我ながら気をつけなくてはと思った。
旅もそうだが、情報と自分の足で行って見たのでは受け取る感覚が全く違う。ブッダがただ瞑想しても祈りを捧げても真理を見いだせず意識と心のつながりを研究し続けたのは、心がいくら理解しても本当の知恵は実践のみにこそあると悟ったから。妙に納得がいってしまった。
そしてある日、瞑想中に虫にさされたような痛みとかゆみが走ったのだが自然の摂理を信じてそれをじっと観察してみることにした。
すると実は虫にさされたのではなく、細かな微粒子が身体の表面に浮上してきていたのだという事に気づくことができた。そしてある日はその微粒子(エネルギー)が体全体とつながり、今まで体験した事もないような心地よい気分になる日もあった。
するとまた講話で、
「今日はある生徒さんにとっては身体中に電気が走ったような心地よい体験をした人がいるかもしれません。これこそが求めていた感覚だ!これこそが悟りなんだ!って思った人がいるかもしれません。しかし、その心地よさにも執着してはいけません。心地よい感覚も嫌な痛みも全ては無常であり同じ性質。産まれればまた消えていきます。ただただ観察しましょう」
まるで全てはお見通しかのように言われてしまう。
もうここまできたらお見事としか言いようがない。一部の瞑想法ではこの心地良さや不思議な体験をゴールとしてしまうところもあるらしいが、ここでは全くもって合理的に説明されるので疑う余地すらなくなってしまうのだ。
日本では瞑想と聞くと、どうも日常とかけ離れていて、出家した僧侶のような人がやるイメージがあるが、これは誰にでも日常に取り入れることができる。続けることで心はやがて平静さを取り戻し、正しい判断をすることでビジネスの世界でも多くの成果をあげることはもちろん、家庭においても素晴らしい環境をつくれるという。その事を証明するかのようにこのヴィパッサナーは完全寄付制にも関わらず世界中に素晴らしい施設がいくつもでき、もの凄いスピードで人々に広まっているのだ。
強制的なお布施など一切なく、卒業生は他の人にもこの瞑想法が習得してほしいという願いで寄付をする。だれがいくら寄付したかなんて一切わからないシステムになっているので、見栄をはって多く払う必要はないし、ただ自分の出来る範囲ですればいい。まさに人から人へ奉仕の気持ちがまわっていくペイフォワードのようなシステムなのだ。
ちょっと話は変わるが、僕が何年か通っているアメリカのネバタ州の砂漠で開催されているバーニングマンというイベントも、まさにこのペイフォワードのようなシステムだ。
たまにこのイベントの精神をGIVE&TAKEと勘違いしている人もいるけど、バーニングマンが大事にしている精神はGIVE&GIVE。似ているようで全然違うと思う。前者はGIVEをした時点でTAKEという見返りをもとめ、後者は見返りを求めずただGIVE(奉仕)するのみである。
⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1045470
その砂漠に1週間だけ出来るブラックロックシティという街では参加者全てが表現者となり、自分の出来る事で誰かにGIVEをする。ある人は料理や飲み物を振る舞い、ある人は音楽を奏で、踊り、ある人は巨大な船に最上級のスピーカーを乗せ砂漠を走らせ誰でもそこに乗船することが出来る。
そこでは一切の企業広告は禁止され、金銭のやり取りも禁止なので全ては相手に楽しんでもらいたいというGIVE(奉仕)の気持ちのみで行われる。誰かに素晴らしいご馳走をいただいたとして自分にはそれに見合うお返しができないと思っても心配する必要はない。その人にお返しするのではなく、自分の出来ることで他の違う誰かにしてあげればいい。例えば音楽を奏でる演奏家がいたら、その音に浸り踊りHAPPYを振りまく事だってあなたの出来るGIVEという事だ。
そうして奉仕の心で出来あがる砂漠の街は素晴らしいほど幸せな空気に包まれ、これこそが本来人間があるべき姿で、こうすれば世界は平和ではないか、と人類の可能性を教えてくれる場所でもあるのだ。興味がある人は、まるでどこか他の惑星にでもいったかのようなその素晴らしい世界を是非体験してほしいと思う。
バーニングマンにはGoogleの創設者から科学者、世界的に有名なアーティストやDJ、スピリチュアルなシャーマン達が未来の人間の可能性のためにいまもフリーでGIVE(奉仕)を続けている。
ある人はいう、20世紀は物質優先社会で21世紀は“心”の時代だと。
それは物質や技術を優先した社会によって自然災害や様々な問題に直面したり、モノや情報や知識に埋もれても満足を得れなかった時に、人は“何のために生きているか”という事を改めて問いつめるようになる。そんな時に心の豊さこそが大切になってくるのではないかと。
当たり前のようで当たり前ができない世の中だからこそ、バーニングマンやこのヴィパッサナーのようなシンプルなGIVE(奉仕)という精神が、これからの“心”の時代にとてもキーになってくるのではないかと改めて考えさせられた。
10日間の瞑想を終え、10日前の自分とは見違えるほどに頭はスッキリし、体重も5、6キロは落ちていた。
長い沈黙もとかれたのでもう誰と話をはじめてもいいのだが僕はいきなり話をする気にはなれなかった。もう少しこの沈黙に浸りたかった。白いベンチに腰をおろすと目の前がスクリーンの枠ように見え、その枠の中に見える木々、鳥、虫達と自分の呼吸がまるで共鳴しているような感覚になった。ただそこにあるのみなのに、この瞬間があることの素晴らしさにしばらく浸っていたかった。
物事をただあるがままに見る。
昔バシャールの本で読んだ、全ての物事は中立で意味をつけているのは自分という意味が、体験を通して少しわかった気がした。きっとキリストやブッダ、世界のあらゆる宗教や哲学者達の教えも真理は同じ事なんだろう。この旅であらゆる事が起きるだろうが可能な限りこの感覚を実践してみたいとも思った。
しばらくするとガヤガヤと人々の声がはいってきてしまい、少し残念な気持ちもあったが、気持ちを切り替え、預けていた携帯やPCなども手元に戻した。
久しぶりにつけた携帯の液晶は太陽を直視してるかのように眩しすぎて電磁波が脳天を突き刺すような感覚があった。言葉も久しぶりにしゃべるのでなかなか出てこないのだが人々の話を聞いたり、届いていたメールなどを読むだけで、情報量が多すぎたのか、その日は頭がちょっと重くなってしまった。
瞑想中は余計なことを考えてはいけないので頭は空っぽ状態になっていくのだが、瞑想中の方がよっぽど良いアイデアが浮かんでいたくらい、もしかしたら僕らは普段あまりにもいらない情報とりすぎているのではないかと思うくらいだった。
数人の人物と挨拶を交わした後、たまたま話しかけてきた男はなんとインドで僕と同じような音楽フェスを運営しているという。年末ゴアで巨大なフェスをやってそのままセンターにきたらしい。
何とも奇遇だ。
旅をしていたり、思考がクリアだったりするとこういう引き寄せや偶然力が強くなったりする時がある。昔、アメリカに行こうとした時もそうだったが、誰かを想えばすぐさまその人から電話がかかってきたり、3週連続で同じ人と全く同じ路上で会ったり、インドへ行こうと思ったその時から普段出会う事もなかったインド人家族を公園で見かけたり、インド在住の雑誌の編集長がたまたま日本に戻っていて出会えたりする。それはちょうど欲しい車が見つかった時にその車ばかりを街で見かけてしまうように、決断した瞬間からそれらの事は起き始める。おそらく旅をしている人たちならこのような偶然力という引き寄せがあることを何度も経験していると思うし、そこに旅の醍醐味があることを知っていると思う。
今はインターネットで何でも事前に調査もできるし、全ての行程を決めてしまう事も出来るが、その場その場で出会った道しるべに従っていくほど、まだ見ぬ場所へ連れていってくれたりするのだ。この旅もまた行く先は何も決めてなかった。
するとまた別の人が声をかけてきて、「君はこの後は日本に帰るのか?」と質問をしてきたので「これからインドを旅するのだけどまだどこにいくか決めてないんだ」と返した。
「そうか、今夜は家にいないのだが明日からで良ければちょっとうちに泊まればいいじゃないか?」
そういえばインド用の携帯を買ったり、インドで生活するための諸々の準備も必要だったのでもちろんこのありがたい導きに乗ることにした。
そして荷物をまとめ、寄付をしてセンターに別れを告げた。
現実世界に引き戻されるのにはそう時間はかからなかった。
まず、ここからどうやって街まででればいいのか見当もつかない。
それどころか、ここがどこなのか、自分がどこにいるのか何もわからない。
センターのある場所は自然が生い茂る田舎なので街のようにタクシーなどはいないし、歩いている人もほとんどいないし、いたとしても英語が話せない。
とにかく歩こうと15分ほど歩いたところで1台のリキシャが客をおろしているところだった。急いでそのリキシャをとめるとタウン、ムンバイ、ボンベイと伝わりそうな単語だけを並べて伝えた。彼は英語は話せなかったがOK! OK!と言わんばかりに自信をもった顔で乗れという合図をしてきた。
そして、着いた場所は街でも駅でもなく船着場であった。
⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1045464
トレイン、ステーションといっても全く聞く耳ももってくれない。
と、その瞬間100ルピー、100ルピーと当たり前のような顔で言われてしまった。
インドあるあるはわかっていたつもりでも事前に値段の交渉するのをすっかり忘れてしまっていた。
事前に交渉してなかった自分も悪いので勉強代として提示額を支払った。
この船がどこへいくのか全くわかないがとにかく対岸に渡らないとどうにもならない事は何となく周りを見渡せばわかったのでその船に乗ることにした。リキシャよりはるかに安い10ルピー(約18円)を支払い対岸まで渡ることにした。船には老若男女、自転車からバイクまで乗れるものはとにかく何でも乗っていた。沿岸の海には自然は全てのことを呑み込んでしまうと言わんばかりに大量のゴミが捨てられているし、ハエのたかった魚や野菜を気にせず売っているおばちゃん達と物乞いの親子達で遊歩道はできあがり、リキシャのドライバーは絶妙なタイミングで人や車をすり抜ける。そこで見た全ての光景がただ生きている感じがして何故だか妙にエキサイティングに感じてしまった。
この先、どんなものに出会い、何を感じていくのかまだ見ぬ未来に向かって進みはじめた。
●小橋賢児(こはしけんじ)
俳優、映画監督、イベントプロデューサー。1979年8月19日生まれ、1988年、芸能界デビュー。以後、岩井俊二監督の映画『スワロウテイルバタフライ』や NHK朝の連続小説『ちゅらさん』、三谷幸喜演出のミュージカル『オケピ!』など数々の映画やドラマ、舞台に出演し人気を博し役者として幅広く活躍する。しかし、2007年 自らの可能性を広げたいと俳優活動を休業し渡米。その後、世界中を旅し続けながら映像制作を始め。2012年、旅人で作家の高橋歩氏の旅に同行し制作したドキュメンタリー映画「DON’T STOP!」が全国ロードショーされ長編映画監督デビュー。同映画がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてSKIPシティ アワードとSKIPシティDシネマプロジェクトをW受賞。また、世界中で出会った体験からインスパイアされイベント制作会社を設立、ファッションブランドをはじめとする様々な企業イベントの企画、演出をしている。9万人が熱狂し大きな話題となった「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクターも勤めたりとマルチな活動をしている。
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