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PL学園野球部「部員募集再開」の声が届かなかった事情

―[PL学園野球部]―
 甲子園優勝7回、あまたの選手をプロ野球界に輩出してきた名門が消える――PL学園野球部問題を追い続けてきたノンフィクションライターの柳川悠二氏が“永遠の学園”をめぐる顛末を前回に続きリポートする!

’15年度の入学生から部員募集の停止を発表

’15年度の入学生から部員募集の停止を発表 甲子園常連校だった名門・PL学園野球部で起こっている問題の経緯を振り返りたい。事の発端は、’13年2月に発覚した暴力事件だった。日本高等学校野球連盟より6か月の対外試合禁止処分が下り、当時の河野有道監督は4月に辞任した。  しばらく監督不在の状況が続き、秋になってようやく、野球経験のない校長の正井一真氏が校長と兼務する形で監督に就任した。’14年夏の甲子園が開催されている最中、正井氏に話を聞くと監督を決められない事情をこう明していた。 「桑田真澄氏を監督に推すグループがあるとも聞いていますが、PL学園にとってふさわしい監督というのは、名前(実績)だけでなく信仰心のある方に務めていただきたいというのがPL教団の考え。何かを決断しなければならないときに教団の意向を酌んでいただける方でないと。今はそういう方が現れるのを待っている状態です」  さらに同年10月、現役の部員を窮地に追い込む決断が下された。学園は’15年度の入学生から部員募集の停止を発表したのだ。  年末には野球部のOBが野球経験者の早期監督就任と、部員募集再開を訴える嘆願書を校長宛に提出したこともあった。だが、その声が野球部の将来を決する立場の人物に届くことはなかった。  現在の教団の実権を握っているのは、’83年に3代教主(PLでは「おしえおや」と読む)となった御木貴日止氏(58歳)ではなく、その妻である美智代氏(55歳)である。3代教主は’07年に脳疾患を患ったうえに、週に3度の人工透析を欠かせない病状にあり、車椅子生活を送っている(先日、教主を見かける機会があったが、2年前に目撃したときよりやせ細り、別人に見間違えたほどだった)。廃部問題が加速し始めた2年前、教団を追放された教主一族が私にこう証言してくれた。 「3代様に代わって実権を握っている美智代さんに意見具申しようものなら、功績のある教団教師(PLの教えを説く布教師)ですら地方の教会に飛ばされたり、退職に追い込まれたりします。誰もが美智代さんを恐れて、物言えない状況にあるのが、現在の教団上層部です。美智代さんは2代様に結婚を反対された私怨もある。だからこそ2代様が築いたものを壊そうとしてきた。野球部もそのひとつです」  もし野球部の存続を美智代氏に訴えれば反逆者として扱われてしまう。それを恐れるからこそOBの嘆願書も、現役部員の父母たちによる美智代氏との面会希望にも、学園は一切取り合わなかった。もちろん3代夫人が私怨だけで野球部を廃部にしようと目論んでいるとも思えない。そもそも教団や学園の財政が困窮しているのである。(次回リポート、PL学園が廃校の危惧へと続く) 取材・文/柳川悠二 ― PL学園野球部、(実質上)廃部の真相 ―
―[PL学園野球部]―
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