ホーガンが考える“90年代のホーガン”――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第95回

ハルク・ホーガンが考える“90年代のホーガン”とは。ホーガンはプロレスからの “卒業”を計画していた?(写真は「ロイヤルランブル90」オフィシャル・プログラ ム表紙より)
1984年1月にアイアン・シークを下しWWE世界ヘビー級チャンピオンになったホーガンは、同王座を4年間にわたり保持した。
1988年2月、“ミリオンダラー・マン”テッド・デビアスの“レフェリー買収事件”でホーガンはチャンピオンベルトを失い、“レッスルマニア4”(1988年3月27日=ニュージャージー州アトランティックシティー)で開催された王座決定トーナメントではランディ・サベージがWWE世界王座を獲得。
それから1年後、ホーガンは“レッスルマニア5”(1989年4月2日=ニュージャージー州アトランティックシティー)でサベージから王座を奪い返した。WWE世界チャンピオンとしてのホーガンの長編ドラマはここでひとつのクライマックスを迎えた。
ホーガン自身はチャンピオンのままリングを下りることを強く望み、ビンス・マクマホンはあくまでもリングの上でのホーガンからアルティメット・ウォリアーへの主役交代を求めた。引退ではなく“卒業”というシナリオは、ホーガンとWWEの関係が永続的につづいていくことを意味していた。
この連載の前回記事
ハッシュタグ
おすすめ記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています