ハルク・ホーガン プロレス史上最大のスーパースター――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第48話>
プロレス史上最大のスーパースターは、だれがなんといおうとハルク・ホーガンである。
アメリカのプロレス史は、ビンス・マクマホンとWWEによる全米進出プロジェクトがスタートした1984年を分岐点として“ビフォア1984”と“アフター1984”のふたつの時代に分類することができる。
“ビフォア1984”はNWA、AWA、WWEのメジャー3団体が不可侵条約を結んでプロレス市場の経済的・地理的バランスをコントロールしていた時代で、“アフター1984”はWWEがこのバランスを破壊してレスリング・ビジネスの構造を根底から変え、プロレス界を統一した現在進行形の時代。
WWEの1団体モノポリー体制は、巨大な権力による全体主義社会と徹底した管理システムがつくり出す絶対的支配の恐怖を描いたジョージ・オーウェルの近未来SF小説『1984』の世界観と比較されることが多い。
“1984体制”から21世紀にかけての約20年間のアメリカのプロレス史は、つねにホーガンとビンスを中心に動いていた。
ホーガンは、アイアン・シークを下してWWE世界ヘビー級チャンピオン(1984年1月23日=マディソン・スクウェア・ガーデン)となってから1993年8月まで約10年間、WWEに在籍した。
“アフター1984”の最初の10年で全米各地のNWA加盟テリトリー、AWA、ダラスWCCWなどアメリカじゅうのローカル団体はことごとく活動停止、消滅した。
ホーガンは1994年6月、後発団体WCW(World Championship Wrestlig=テッド・ターナー・グループ)に移籍。ビンスの敵にまわった。
いまになってみると、ホーガンがWCWに在籍した7年間は、ホーガンとビンスのふたりを主人公としたとてつもなく長い大河ドラマのほんの1章でしかなかった。
“超大物FA”ホーガンを獲得したことでジョージア州アトランタを本拠地とする“南部のプロレス”WCW(1988年11月発足)はWWEのライバル団体としてのポジションとステータスを確立し、1990年代後半のアメリカのレスリング・シーンはWWEとWCWの2大メジャーリーグによる“月曜TV戦争”のピリオドを迎えた。
ホーガンとWCWの契約、“テレビ王”テッド・ターナーによる巨額の資本投下がなければ、WWEの全米制圧はもっと早い段階で現実のものとなっていただろう。
ホーガンは1978年、日本人レスラーのヒロ・マツダのコーチを受け、25歳でプロレスラーになった。少年時代はリトルリーグでベースボールに熱中し、ティーンエイジのころは地元の友だちとバンドを組んでベース・ギターを弾いていた。
ホーガンが通っていたタンパのロビンソン・ハイスクールにはディック・スレーターDick Slater、スティーブ・カーンSteve Keirn、マイク・マッコード(オースチン・アイドルAustin Idol)、マイク・グラハムMike Grahamなど、のちにプロレスラーとなる同窓生たちが何人かいたが、ホーガンはこのグループとはあまり親しくなかったという。
ハイスクール卒業後はバンド活動をつづけながら地元のセントピータースバーグ短大、サウス・フロリダ大に通ったが、大学は卒業せずにやめた。
ヒロ・マツダとのトレーニング、デビューから無名時代のエピソードはホーガンの自伝本『ハリウッド・ハルク・ホーガンHollywood Hulk Hogan』に紹介されているが、この本のなかの記述にはフィクションとノンフィクションがブレンドになっている部分がいくつかある。
デビューから1年間のサーキット・コースは正確にはNWAフロリダ、フロリダ州ペンサコーラ、アラバマ、テネシー、ジョージア、再びアラバマ、WWEの順で、リングネームはマスクマンのスーパー・デストロイヤーからテリー“ザ・ハルク”ボウダー、スターリング・ゴールデンと改名をくり返した。
ホーガンが最初に手にしたチャンピオンベルトは、テリー・ボウダーのリングネームでオックス・ベイカーを下して獲得したガルフ・コースト王座(1979年2月=フロリダ州ペンサコーラ)。
ディック・スレーターからNWAサウスイースタン王座(1979年12月1日=テネシー州ノックスビル)を奪ったという記録も残っている。
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