更新日:2022年07月24日 16:45
スポーツ

リオ五輪、自転車競技唯一の女子日本代表・塚越さくらは陸上からの転向組

~もぎたて女子アスリート最前線 第19回~  2日間で短中距離6種目の自転車競技を行い、各種目の合計点を競う「オムニアム(※)」というオリンピック種目がある。2012年ロンドン五輪から正式採用。スピードのみならずスタミナも必要とされるこの競技に、日本人女子選手として唯一の参加資格を獲得した塚越さくら選手。その経緯を見ていこう。

つかごし・さくら

 もともとは陸上の七種競技(中学は四種)をしていた。高校進学時から目をかけてくれた顧問の先生が高校二年生の時に外れてしまい、次の先生とは意見の食い違いからあまりサポートしてもらえない。そんな不遇な高校の陸上競技生活の中、高校三年生の時にインターハイで結果をだせなかったことで「やっていても上には行けない」とこの競技での行き詰まりを感じる。  新たにできるものはと考え、親の薦めで小学二年生の時から中学初めの頃までにやっていたトライアスロン、中でも自転車に乗るのが好きだったのでこれで世界を目指したいなと思い始めた。自転車競技をすることを考え進学の道を親に相談したところ鹿屋体育大学をみつけてきてくれ、内容を観てみると女子選手も強化しているので魅力を感じた。  大学を受験するにあたり「大学から始めて自転車競技に挑戦することは可能なのか」などの内容を鹿屋大学自転車競技部黒川監督に手紙を書き、推薦は無理ということで一般入試で受験し合格する。  新たな挑戦で希望と不安の中、入部してみると力の差は歴然としたもので手紙に書いた「自転車競技でオリンピック目指したいです!」と書いたことが恥ずかしくなるぐらいの実力だった。一年生の時は環境になれるのが精いっぱいで、この年の冬に厳しくて有名な吉田隼人先輩に声をかけてもらい、先輩のもとでの走り込みの強化で自転車に必要な筋肉や体力がつき自転車競技の基本が身につくと同時に、楽しさがわかるようになった。  二年生になるとタイムも伸び、その結果ユニバーシアードに出場できるまでに成長する。四年の時にはキャプテンに任命され、オリンピックを本気で意識し始める。ところが、オリンピック枠を獲りにいこうとなった時に挫折を味わった。  この年に初めてワールドカップに出場するも結果は惨敗。翌年から本格参戦をするのだが昨年のイメージが悪すぎて「行きたくない、出るのが怖い」とプレッシャーで体調を壊してしまい一戦目を欠場してしまう。二戦目も体調戻らずでいい結果がでず、三戦目は転んで脳震盪を起してしまうという散々な結果。この年は内容が悪くオリンピックが遠のいたように感じた。  翌シーズンはどうせ走るならと色々なポイントにテーマを持って楽しんで走るよう心掛けた。そうすると、どんどんと順位が上がり、オリンピック枠が狙えるところまで近づいて挑んだアジア選手権で銅メダルを獲ることができ、この時、自覚するぐらい「成長したな」と感じたそうだ。 ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1160329  オリンピック枠に入っての世界選手権最終戦でライバルのコロンビアが出場しないこともありゴールさえすれば出場権獲得という運もありオリンピック出場が決まる。  来月に迫ったリオデジャネイロオリンピックでは「怖がらずに“積極的”に走ったら何かを獲れるとおもいます」という攻めの姿勢で世界に挑む塚越選手の脚力に注目だ!〈取材・撮影・文/丸山剛史〉 (※)オムニアム(数字は競技順、距離は女子) (1)スクラッチ=1万メートル (2)個人追い抜き=3000メートル (3)エリミネーション=2周ごとに最後尾の選手を除外 (4)タイムトライアル=500メートル (5)フライングラップ=250メートル (6)ポイントレース=2万メートル
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