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近未来の“超大物”ハンターがデビュー ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第190回(1995年)

 トリプルHが“マンデーナイト・ロウ”に初めて登場したのは5.14PPV“イン・ユア・ハウス1”の翌日、5月15日にニューヨーク州ビンガムトンでおこなわれた集中TVテーピングだった(5月15日、5月22日、5月29日の3週オンエア分の録画)。  5月22日オンエア分のTVマッチに出場したトリプルHは、ジョン・クリスタルという無名選手とシングルマッチをおこない、スタンディング式ダイヤモンド・カッター(変形ネックブリーカードロップ)でフォール勝ち。リングコスチュームは濃い茶色のロングタイツと同色のリングシューズで、ストレートの金髪はきれいに後ろでポニーテールに束ねられていた。この時点ではまだ必殺技ペディグリーは使っていなかった。  WWE世界ヘビー級チャンピオンのディーゼル(ケビン・ナッシュ)、ショーン・マイケルズ、レーザー・ラモン(スコット・ホール)、123キッド(ショーン・ウォルトマン)の4人が“クリック”という派閥を結成し、リング上で起きるもろもろのできごととバックステージでのポリティクス=政治面を同時にコントロールしはじまったのはちょうどこのころだった。  トリプルHのスター・ポテンシャルの高さに目をつけたクリックは“新顔”をすぐに自分たちのグループにひっぱり込んだ。4人組はトリプルHのルーキーらしからぬたたずまい、目の輝きを見逃さず「あいつは大物になるぞThat guy is going to be a big deal」と口をそろえた。  1995年から1996年にかけてはWWEのバックステージにさまざまな異変が起きた。ライバル団体WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング=ジョージア州アトランタ)が1995年9月、月曜夜の新番組“マンデー・ナイトロ”の全米生中継をスタートさせたのと同時にレックス・ルーガーがWWEを退団し、その翌日に“古巣”WCWに電撃復帰してビンス・マクマホンをおおいにあわてさせた。
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WCWの引き抜きは、WWEの深いところにまで及ぶ
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