メドゥーサと“アランドラ・ブレイズ”――フミ斎藤のプロレス読本#136[ガールズはガールズ編エピソード6]
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
ものすごい“業(ごう)”の持ち主としか形容のしようがない人物がごくまれにいる。業とは(仏教で)現在の環境を決定し、未来の運命を定めるものとしての善悪の行為、行動。
広辞苑には[(1)行為。行動。心や言語のはたらきを含める。善悪の業は因果の道理によってのちに必ずその結果を生むというのが仏教およびインドの多くの宗教の説。(2)業(ぎょう)の果報]なんて出ている。
精神世界の単語でいうと、すごいカルマを持った人ということになるのかもしれない。わかりにくかったら“業突張(ごうつくばり)”の“業”でもいい。
ごくまれな人物とはメドゥーサのことである。ミステリーといってしまえばたしかにミステリーだけれど、アメリカの女子プロレスはメドゥーサひとりを中心に動いている。メドゥーサが歩いたあとに道ができる、という感じなのである。
正確には現在のリングネームはアランドラ・ブレイズ。WWE世界女子チャンピオン。チャンピオンではあるけれど、闘う相手がなかなかみつからない。
なんでも世界一じゃないと気がすまないWWEは“レッスルマニア10”のメドゥーサの対戦相手としてブル中野を欲しがった。それはブル様が世界でいちばんグレードの高い女子プロレスラーだからだ。
メドゥーサの強運はいまにはじまったことではない。そもそも、女優志願だった元保母さんがプロレスラーになったのは、それがハリウッドへの近道だと思ったからだった。
ろくにレスリングもできないうちにAWA世界女子王者になってしまった。長与千種やライオネス飛鳥とのシングルマッチでそのスター性を認められ、全日本女子プロレスから専属契約をオファーされて初めての“長期滞在型外国人選手”となった。
クラッシュ・ギャルズが引退したあとの全日本女子プロレスはどん底の暗闇に迷い込んだ。“赤いベルト”WWWA世界王座を手に入れたのはブル中野だった。
マリン・ウルフ。ファイアー・ジェッツ。スイート・ハーツ。ドリーム・オルカ。ハニー・エンジェルス。みんながそれぞれにそれなりのペアを組んでいた。北斗晶はまだ男の子みたいな髪形をしていて、アジャ・コングは金髪のモヒカン刈りだった。
全日本女子プロレスのオフィスは本気になってメドゥーサを売り出そうとした。イメージ・ビデオ。CD。写真集。専門誌以外の活字メディアでの露出……。とにかくなんでもやってみた。
トーキョーでの2年間の生活がメドゥーサをスーパースターにしてくれたかというと、ほんとうはそうでもなかった。あのころの女子プロレスは冷えきっていた。
それでも、ブル様を下して“赤いベルト”を手に入れる直前のアジャと格闘技戦――プロレスラー対プロレスラーのキックボクシング――をまじえることができたし、ぐるっと一周して新しいスターが出そろうまえの過渡期の女子プロレスの登場人物になることができた。
全日本女子プロレスで学んだものをアメリカに持ち帰ったメドゥーサは、いつのまにかWCWのファーストレディーというポジションを手に入れていた。
WCWからフェードアウトしたかと思ったら、女子プロレス部門のなかったWWEの扉をこじ開け、あっというまに真新しいチャンピオンベルトを腰に巻いていた。
日本でのサクセス・ストーリー(らしきもの)はメドゥーサにとって大きな財産になっている。
アジャとのシングルマッチが東京ドームをソールドアウトにしたとか、六本木交差点のすぐそばの高層ビルの壁面にはメドゥーサがモデルになった化粧品の巨大なビルボード広告がいまでもディスプレーされているとか、ずいぶん事実からかけはなれた伝説がひとり歩きしている。
多少のフィクションは混ざっていても伝説は伝説として語り継がれていったほうがいいのだろう。メドゥーサのスターテスの高さは、アスリートとしての才能がものをいったというわけではないけれど、かといってルックスがすべてというわけでもない。
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