キミはアランドラ・ブレイズを知っているか?――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第191回(1995年編)
1987年、ミネアポリスのインディー団体PWAでデビューし、同年、AWAと契約後、キャンディ・デバインを下しAWA世界女子王座を獲得。AWA在籍時代はカート・ヘニング、バッド・カンパニー(パット・タナカ&ポール・ダイヤモンド)らのマネジャーとしても活躍した。
全日本女子プロレスの――ポスト・クラッシュ・ギャルズ路線の――長期滞在型外国人選手として1989年1月に来日し、東京・目黒に2年間在住。CD、イメージ・ビデオ、写真集などがプロデュースされたほか、テレビ東京の深夜番組がメドゥーサのドキュメンタリー番組を制作した。
また、作家の故・井田真木子さんが著書『プロレス少女伝説』のなかの1章でメドゥーサ(井田さんはメデューサと表記した)の半生を描き、この作品が大宅荘一ノンフィクション賞を受賞した。いろいろな意味で強運の持ち主なのだろう。
クラッシュ・ギャルズの大ブームが一段落した1980年代の終わりから女子プロ団体対抗戦が社会現象となった1990年代半ばのちょうどまんなかの“空白の時代”を生きた“ビッグ・イン・ジャパン”のスーパースターだった。
1991年にアメリカに帰国後、WCWと契約。リック・ルードのマネジャーとして新日本プロレスの“G1クライマックス”(1992年)に来日したこともあった。当時からアメリカでは「メドゥーサは日本ではスーパースター」というコンセンサスができあがり、これがアメリカ国内でのメドゥーサの商品価値を高めた。アスリートとしての身体能力そのものよりもスターっぽい雰囲気で観客を魅了するタイプのレスラーだった。
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