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ケン・シャムロックがWWEと3年契約――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第247回(1997年編)

 ここではない、ほかの場所。いまではない、ほかのとき。いまの自分ではない、ほかの自分。この人たちではない、ほかの人たち。このスポーツではない、ほかのスポーツ。UWFも、藤原組も、パンクラスも、UFCも、シャムロックにとっては通過点だったのだろう。新しい群れと交わるたびに“かもめのジョナサン”はそこではないほかのどこかを探していた。シャムロックが選択したのはWWEのリングだった。  アメリカではプロレスラーではなくMMAファイターとカテゴライズされる場合が多く、ホイス・グレイシーとの闘いはUFC初期の名勝負としていまも語り継がれている。WWEがどうしても手に入れようとしたのは、シャムロックの“UFCのスーパースター”としてのイメージだった。  シャムロックは、WWEスーパースターの新顔ではなく、有名なスポーツ・セレブリティー、プロレスではないほかのスポーツのチャンピオンとしてリングサイド最前列に座った。すぐとなりにはティーナ夫人(当時)と養父ボブ・シャムロックさんがいて、近くには数人のセキュリティーも配置されていた。  ビンスはその日、シャムロックをわざわざ観客の目に触れるところにポンとレイアウトした。そのもくろみどおり、UFCのスーパースターのまわりにはサインを求める男性ファンの群れができ、リングサイド・エリアに混乱が生じた。  番組後半にはリポーターのタッド・ペッティンゲルがシャムロックをインタビューし、そのインタビュー・シーンにファルーク(ロン・シモンズ)が割って入るという“一触即発シーン”も用意されていた。  WWEとの“3年専属契約”はシャムロックのMMA引退―プロレス転向を意味していたが、WWE内部ではシャムロックの使い方をめぐって意見が対立していた。シャムロックをWWEにスカウトした“黒幕”とされるブレット・ハートは「彼がふつうの(プロレスの)試合をやったらまったく意味がない」と考えていた。(つづく)
斎藤文彦

斎藤文彦

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