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“スーパーフライ”ジミー・スヌーカ死去――「気楽にいこうよ」のハンドゼスチャーが忘れられない東京での一夜【フミ斎藤のプロレス講座】

スーパーフライSUPERFLY

写真はジミー・スヌーカの伝記本『スーパーフライSUPERFLY』(ジョン・チャットマンと共著)の表紙から

 “スーパーフライ”ジミー・スヌーカが死去した。73歳だった。スヌーカの娘で、WWEではタミーナのリングネームで活躍しているソローナさんが1月15日、みずからのインスタグラムInsragramで公表。つづいてWWEオフィシャル・サイトがこれをニュースとして伝え、ドゥエイン・ジョンソン(ザ・ロック)も公式ツイッターで哀悼の意ををつづった。

 スヌーカは1954年5月18日、フィジー島出身。本名はジェームス・ライハー。1967年、ハワイでボディービル・コンテスト“ミスター・ハワイ”に優勝したことをきっかけにプロレス転向。デビュー当時のリングネームはラニー・ケオロハ。

 日本ではブルーザー・ブロディのタッグ・パートナーとしてのイメージが強い。1981年(昭和56年)12月の全日本プロレスの『世界最強タッグ』決勝戦では、新日本プロレスから電撃移籍のスタン・ハンセンの“乱入”というビッグ・サプライズとともにブロディ&スヌーカがドリー&テリーのザ・ファンクスを下しリーグ戦優勝。

 新日本プロレスでもブロディとのコンビを再結成したが、『85IWGPタッグ・リーグ戦』決勝戦の当日、新日本プロレスのフロントと衝突したブロディが試合出場を一方的にキャンセルし、仙台駅で新幹線を降り、東京行きの新幹線に乗り換えたことで知られる“ボイコット事件”という歴史的な事件が起きたときも、スヌーカはブロティと行動をともにした(1985年=昭和60年12月12日)。

 それから2年後、ブロディが古巣・全日本プロレスにUターンしたときも、ブロディは『87世界最強タッグ』のパートナーにスヌーカを指名。この年のリーグ戦・公式戦ではハンセン&テリー・ゴーディ対ブロディ&スヌーカという、ハンセン対ブロディのシングルマッチのさわりがちょっとだけ実現した。チームリーダーはブロディだったが、じつはプロレスのキャリアではスヌーカが6年先輩、年齢でもスヌーカのほうが3歳年上だった。

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アメリカではシングルプレーヤーとして活動

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