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ビンスが“ロイヤルランブル”初優勝!――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第308回(1999年編)

“ロイヤルランブル1999”オフィシャルPPVポスター

毎年1月恒例の30人出場時間差式変則バトル“ロイヤルランブル”に選手として初出場のビンス・マクマホンがまさかの優勝。“レッスルマニア15”へ向けて大きなドラマが動きはじめた(写真は“ロイヤルランブル1999”オフィシャルPPVポスターより)

 1999年のWWEは、ビンス・マクマホンの“ロイヤルランブル”優勝というちょっとひねりの効いたドラマで幕を開けた。  1988年1月の第1回大会から数えてこの年で12回めを迎えた歴史と伝統のスーパーイベント“ロイヤルランブル”は1999年1月24日、カリフォルニア州アナハイムのアローヘッド・ポンドで開催された(観衆1万4816人、興行収益63万ドル、会場内でのグッズ売り上げ収益13万7813ドル)。  “ロイヤルランブル”は出場30選手が2分ごとのインターバルでリング内に入り、各選手が生き残りをかけてぶつかり合い、最後の最後までリング上にいた選手の勝ちという変則バトルロイヤルである。  フォール、ギブアップによる裁定はなく、トップロープごしに場外に落とされた選手が失格となる“オーバー・ザ・トップロープ”ルールのみが適用される。  前半戦からリングに上がる選手にとってはかなり不利なルールで、入場順が遅い選手は必然的に有利となるゲーム性の高い試合だ。“魔のエントリー・ナンバー”といわれる(1)と(2)を引いたのは、ほかでもないビンスと“ストーンコールド”スティーブ・オースチンのふたりだった。  結果的に、ストーンコールドは試合開始から試合終了のゴングまでの約70分間、だれの助けも借りることもなく孤独なバトルを闘いぬいた。  ビンスは“悪の首脳部”コーポレートのメンバーにストーンコールドを拉致させ、みずからは試合途中でリングから抜け出してPPV放送用の実況ブースで休けい。しかし、終盤戦にはストーンコールドにつかまり、強引にリング内に連れ戻された。
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ここで重要な任務を果たしたのがロッキー・メイビア
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