更新日:2022年08月23日 15:41
スポーツ

ビンスが“ロイヤルランブル”初優勝!――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第308回(1999年編)

 ここで重要な任務を果たしたのが“うわさのロック”こと“ザ・ロック”ロッキー・メイビアだった。  リングサイドに現れたロックがリング上のストーンコールドを挑発しているあいだに、背後から忍び寄ってきたビンスがストーンコールドをトップロープごしに場外にドサッと投げ落とし、ストーンコールドは失格。“大穴”ビンスがまさかの“ロイヤルランブル”優勝をさらった。  また、ダブル・メインイベントとしてラインナップされたWWE世界ヘビー級選手権“エニウェア・アイ・クイット・マッチ”は、挑戦者ロックが王者マンカインド(ミック・フォーリー)を下し同座王奪回に成功した。  ロックはマンカインドの両手首を後ろにまわして手錠をかけ、その脳天をイスでメッタ打ちにする狂乱ファイトを展開。  リングサイド席でこの試合を観戦していたマンカインド夫人のコーレットさんとふたりの子どもたちが悲鳴をあげるシーン、試合終了後、額から大流血したマンカインドがドレッシングルームで緊急縫合手術を受ける様子がドキュメンタリー映画『ビヨンド・ザ・マット』(バリー・W・ブラウスティン監督=1999年)に克明に描かれている。  前年、1998年は“ロウ・イズ・ウォー”対“マンデー・ナイトロ”の月曜TV戦争、ライバル団体WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)との闘いでWWEが大きな勝利を収めた1年だった。  ブレット・ハートとショーン・マイケルズというふたりの主役がリングから姿を消したとたん、新時代のキーパーソンとしてストーンコールドが登場し、突然変異のダーク・ヒーローとしてロックが出現した。  1998年に約200公演が開催されたハウスショーの1興行あたりの平均観客動員数は、前年度比71.7%アップの1万人(1997年は5826人)で、その33.5%に“満員マーク”がついた。1公演あたりの平均興行収益は前年度比99.3%アップの18万8482ドル(1997年は9万4562ドル)。PPV12大会の合計視聴契約料は約5470万ドルだった。  “ロイヤルランブル”優勝者は通常、同年の“レッスルマニア”のメインイベント出場権を獲得することになるが、当事者のビンスはもっとほかのシナリオを頭に描いていた。ロックとマンカインドの因縁ドラマももちろんto be continuedとなった。  WWEはこの年のNFLスーパーボウルのハーフタイムに時間を合わせ、1月31日午後、ロック対マンカインドの“ノー・ピープル・マッチ”を特番ワクで全米中継(USAネットワーク)。プロレスの映像がアメリカの国民的行事であるスーパーボウルを“電波ジャック”するというメディア戦略を演出した。(つづく)
斎藤文彦

斎藤文彦

※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦 イラスト/おはつ ※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
1
2
おすすめ記事