「もう包丁を出すしかない」死を覚悟したデスマッチファイター・竹田誠志のルーツを辿る
プロレスにはいくつかのスタイルがある。強さを追究するストロングスタイル、受けを美学とする王道プロレス、メキシコ発祥のルチャリブレ……。そんななか、異彩を放つのが、凶器を使い、血を流して戦う“デスマッチ”だ。
電流爆破のイメージが強いが、凶器アイテムはどんどんエスカレートしている。蛍光灯、画びょう、剣山、カミソリ、ハサミ、注射器……。「もう包丁を出すしかないです」と竹田誠志は苦笑する。デスマッチファイターには、大きく、“生きるためのデスマッチ”をする者と、“死を覚悟したデスマッチ”をする者とに分かれる。竹田は後者だ。竹田のほかいない、と言ってもいい。眼から血をダラダラ流し、尚も凶器を振りかざす様は、見る者を震え上がらせる。
「このパッケージ、ヤバいよ」レンタルビデオ店で同級生にそう言われ、冗談半分にデスマッチのビデオを借りた。中学2年生のときのことだ。「衝撃でした。見たこともない非日常。自分も、血を流してみたいと思いました」 中学生が思い描く夢とは、どのようなものだろう。スポーツ選手、学校の先生、公務員。最近では「You Tuber」という人もいるらしい。しかし竹田の将来の夢は、そのビデオをきっかけに“デスマッチファイター”になった。
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ルーツを辿ろうと、生まれ育った東京都町田市を訪れた。通っていた小学校を覗き、「狭く感じますね」と目を細める。体が小さく、プロレスごっこをしても同級生にパワーボムで落とされた。
「ドラえもんでいうと、スネ夫タイプです。いつもみんなの周りをウロチョロしてました」ジャイアンのような屈強な男は言う。
小学校4年生のとき、野球をはじめた。筋金入りのカープファン。プロ野球選手になりたいと思っていた時期もある。しかし中学校に上がると、「センスがない」と感じるようになった。そんなとき、デスマッチと出会った。「このビデオ屋です。昔はBOMという名前で、この店に来ることを『ボムる』と言っていました」
少年のありふれた日常のなかで、運命の蕾が芽生える。
高校ではレスリング部に入部した。授業中、前の席に座っていた部活の友人が不意に後ろを向き、「暇だよなぁ」と竹田の腕にホチキスの芯を刺す。校庭を歩いていると、後輩からパイプ椅子で殴られる。
「副キャプテンだったので、やせ我慢せざるを得ないというか。僕がデスマッチが好きだと知って、みんなやりたい放題でした」と笑う。
卒業アルバムに、「10年後の自分」の絵を描いた。マッチョで傷だらけの自分。その隣には、デスマッチのカリスマ・葛西純――。
“デスマッチが好き”が、“デスマッチファイターになりたい”に変わったのは、葛西の存在が大きい。「当時は猿キャラで、血まみれになってコミカルな試合をしているところが好きでした」壮絶なファイトではなく、お尻に尻尾をつけてウキーと叫んでいる姿がカッコよかった。
それから12年が経ち、竹田はいま、葛西と同じリングに立っている。少年の夢は実現した。
将来の夢はデスマッチファイター
カリスマへの憧れ
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尾崎ムギ子/ライター、編集者。リクルート、編集プロダクションを経て、フリー。2015年1月、“飯伏幸太vsヨシヒコ戦”の動画をきっかけにプロレスにのめり込む。初代タイガーマスクこと佐山サトルを応援する「佐山女子会(@sayama_joshi)」発起人。Twitter:@ozaki_mugiko
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