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「もう包丁を出すしかない」死を覚悟したデスマッチファイター・竹田誠志のルーツを辿る

「いつ死んでもいい」

 竹田の自宅を訪れた。部屋の奥から、ビニール袋の束を抱えてくる。「コレクションです」見ると、ガラスの破片。「体から出てきた破片を集めてるんです。ガラスとか蛍光灯とか」体に違和感を覚えると、自らピンセットで抜く。その作業は、“楽しい”という。 「痛いのは嫌いじゃないんです。相手を痛めつけるより、自分が受けるほうがいい。そのほうがおいしいですから。リアクション芸人と同じです」  しかし、細菌に感染して熱が回り、歩行が困難になったこともある。腕の骨の手前までガラスが突き刺さり、腕を切って取り出したこともある。洗浄に1時間かかり、医師に「もうイヤ……」と泣かれた。 「いつ死んでもいいと思ってます。それくらいじゃないと、できないです」  中学生のときに出会った、あのビデオを見せてもらった。  1995年3月5日、大日本プロレス旗揚げ戦。「バラ線(有刺鉄線)パーフェクト フォールデスマッチ」。白いマスクの男が、パイプ椅子で殴られ、カメラに向かって突進してくる。「あぶない……!」次の瞬間、画面いっぱいに、血の海原が広がった。  ああ、これか。この興奮を、子供の頃に味わってしまったのだ。憑りつかれるほかなかったのかもしれない。デスマッチという魍魎に――。 「アメリカのデスマッチを日本でもやってみたいです。日本はプロレスの攻防ありきですが、アメリカは凶器ありき。エグいことをやればやるほど、お客さんは喜ぶんです」  14歳のときに紛れ込んだ“非日常”。竹田はいまもずっと、その中にいる。 取材・文/尾崎ムギ子 撮影/タカハシアキラ
尾崎ムギ子/ライター、編集者。リクルート、編集プロダクションを経て、フリー。2015年1月、“飯伏幸太vsヨシヒコ戦”の動画をきっかけにプロレスにのめり込む。初代タイガーマスクこと佐山サトルを応援する「佐山女子会(@sayama_joshi)」発起人。Twitter:@ozaki_mugiko
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