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WCW“マンデー・ナイトロ”番組打ち切り――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第335回(2001年編)

 ニューヨークのWWEと並ぶ“第2のメジャー団体”として誕生したWCWは、基本的にはターナー・グループ企業内の“プロレス事業部”で、NWAクロケット・プロ所属だった選手、フロント、ツアー・クルーは1989年1月、TBSと再契約。テレビ番組のタイトルだった“ワールド・チャンピオンシップ・レスリング”がそのまま団体名になった。  WWEによる買収ディールにはWCW所属レスラー“24選手”の契約書も含まれ、この“パッケージ”にはマイク・アッサム(ザ・グラジエーター)、ランス・ストーム、ビリー・キッドマン、ショーン・オヘア、チャック・パランボ、ヒュー・モラス、カズ・ハヤシら中堅どころの名がリストアップされていた。  WWEサイドはレックス・ルーガー、バフ・バグウェル、ジェフ・ジャレット、セッド・ビシャス、リック・スタイナー、バンバン・ビガロら高年俸グループをあらかじめ契約更改リストから外していたとされる。  WCWの主役グループで旧体制ではバックステージの“裏ボス”として政治的手腕を発揮していたケビン・ナッシュとスコット・ホールについては、ビンス・マクマホンは非公式に“戦力外”と位置づけていた。  年俸100万ドル以上のリック・フレアー、スティング、ゴールドバーグ、ダイヤモンド・ダラス・ペイジ、ブッカーTの5選手については、WWEも選手サイドも新契約を“保留”とした。  ビンスが“戦力外”“構想外”とした10数名とこれら5選手の契約は、WCW(TBS)の管理ではなく、いずれも選手サイドの個人法人と親会社タイム・ワーナー社との法人契約だった。  スティングとゴールドバーグがタイム・ワーナー社と交わしていた複数年専属契約はそれぞれ2001年3月、2003年9月まで有効で、団体の“身売り”によって生じた契約内容の不履行部分についてはタイム・ワーナー社が全額を負担することなっていた。  これらトップグループの契約内容(とその履行義務)はタイム・ワーナー社から新体制のタイム・ワーナーAOL社へと引き継がれるべき“債務”となるため、ビンスは額面どおりの契約書の“買い上げ”に難色を示したとされる。  ビンスが手に入れたのは――年間赤字6200万ドル(約68億円=当時)を抱えてテレビ局傘下のプロレス事業部ではなくて――あくまでもメジャー団体WCWの“のれん”だった。  タイム・ワーナー社とAOLの大型合併によりタイム・ワーナー傘下TBSのオーナーだったターナーの発言力は弱まり、アトランタの“赤字部門”となったターナー企業傘下のWCWは、あっさりとテレビの画面から削除された。  買収契約成立から3日後の3月26日、“マンデー・ナイトロ”の最終回がフロリダ州パナマシティーで開催された。番組オープニングと同時に画面に登場したのは、ほかならぬビンスだった。(つづく)
斎藤文彦

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