越中詩郎と斎藤彰俊の“反選手会同盟”――フミ斎藤のプロレス読本#008【Midnight Soul編3】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
1992年
斎藤彰俊は、痛めている左ヒザを重たそうに引きずりながらバスの右側の列の前から2列めの座席に腰を下ろした。よくみると、左目の上もかなり腫れあがっていた。
トニー・ホームが「ヒザはオーケーか?」と声をかけると、彰俊は恥ずかしそうに微笑みながら「オッケ、オッケー」と答えた。
「なーに、その顔。どうしたの?」いまにも吹き出しそうな様子で、栗栖正伸がよこから会話に割って入った。
この世界の大先輩の栗栖は、まぶたの上に青タンをつくってきた彰俊をからかった。
「あっ、はい。ヒザがまともに入っちゃって。でも、ボクが悪いんですから、はい、全然、大丈夫です」
いくら実戦空手をやってきた猛者といっても、“イス攻撃”の栗栖からみれば彰俊はまだ子どものようなものなのだろう。
栗栖は長いプロレス生活のなかで青タンも赤タンも数えきれないほど体じゅうにつくってきたし、そのつもりならかすり傷ひとつこしらえずに試合をする術もちゃんと心得ている。“イス攻撃”をトレードマークにしたのは、プロレスラーの体の頑丈さを観客に伝えるにはそれがいちばん手っとりばやい方法だと考えたからだった。
それにしても、彰俊はリングのなかと外とではまるで別人のようだ。ぼくが勝手に頭のなかで描いていた空手家・斎藤彰俊のイメージと、いまここにいるシャイな青タン青年の奥ゆかしさとでは、あまりにもその落差が大きい。
ほんとうにこれがもの凄い形相で対戦相手のプロレスラーの顔面を蹴りまくる空手家とはちょっと信じがたかった。じつはこの落差こそ、プロレスとプロレスラーをよく知るためのヒントになる。
観客はプロレスラーに対して幻想を抱く。プロレスラーは観客に対してあるイメージを提供する。そして、そのイメージはいつしかそのプロレスラーの真実になる。
やる側と観る側が、それぞれのバランスを保ちつつ、共同作業であるひとりのプロレスラーのイメージを構築していく。イメージの一方通行ではプロレス空間は成立しない。
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