トニー・ホームはLAに住むフィンランド人――フミ斎藤のプロレス読本#007【Midnight Soul編2】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
1992年
トニー・ホームはたぶん、いまのところ世界でただひとりのフィンランド人プロレスラーだ。北欧にプロレスは存在しない。
四角いリングと3本ロープのこういうプロのレスリングが盛んなのは地球上ではアメリカとカナダ、日本、メキシコだけだ。ドイツとオーストリアにも“キャッチ”というヨーロッパ・スタイルのプロレスがあって、かつては人気があったが、いまはそれほどメジャーなプロスポーツではない。
フィンランドの軍隊でボクシングをやっていたホームは、二十歳のときに故郷をあとにしてアメリカに移り住んだ。夢多き若者にとってスカンジナビアは退屈すぎた。
プロボクサーとかプロのボディービルダーとか映画俳優とか、アメリカにしかない職業について有名になってやろうと思ったのだという。もちろん、お金もたくさん稼ぎたかった。
ロサンゼルスに住むようになって、かれこれ7年になる。グリーンカード(永住権)を取得するためにアメリカ人女性と結婚し、そして離婚した。そのあいだにありとあらゆる仕事をやった。
体が大きかったから、まず、バーのバウンサー(用心棒)になった。店にお酒を飲みにくるハリウッド関係者とコネクションをつくり、スタントマンとしてアクション映画に出演したことがある。ちゃんとセリフのある役のオーディションを受けたこともある。
金融業のアシスタントとして、借金とりのボスといっしょにクライアントのところへ出向いていき、ボスのすぐよこでコワイ顔をしてつっ立っているだけというアブナイ仕事をしていたこともある。
もちろん、体だけはつねに鍛えておいた。有名になって大金持ちになるまでは筋肉だけで300ポンドの肉体をパンパンにしておくことにした。
プロレスとはひょんなことからめぐり逢った。いつもホームがトレーニングをしていたヴェニスビーチのゴールド・ジムでロサンゼルスに遠征に来ていた何人かのレスラーたちと知り合い、プロレスを勧められた。
気がつくと、1年のうちの3分の1くらいを日本で過ごすようになっていた。
「いいハウスだったね」ぼくはホームにこう話しかけた。
“ハウスHouse”とは、プロレス業界用語で“お客さんの入り”を指す。グッド・ハウスは満員で、バッド・ハウスは閑古鳥が鳴くようなありさまをいう。
「ハウス? オレのハウスかい?」
まだどこかプロレスラーになり切っていない部分が残っているホームには、こういうたぐいのスラングがピンとこない。「きょうは満員だったね」という意味で「グッド・ハウスだったね」といったら、アメリカで暮らすフィンランド人はロサンゼルス郊外に購入したばかりの豪邸のはなしをしはじめた。
「25万ドルの家を買ったんだよ。頭金なしの30年ローン。毎月、1200ドルずつ払うだけ。アパートの家賃みたいなもんさ」
「頭金down paymentなし?」
「オレ、金融機関で働いていたことがあるから。知り合いがローンを組んでくれた」
借金とりのボディーガードをしていたころの知人が手ごろな物件を紹介してくれたらしい。ホームは新しい家のなかにつくらせたウェートルームやサウナのことを自慢げにしゃべった。
1
2
⇒連載第1話はコチラ
※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス読本」と書いたうえで、お送りください。
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ