果たして今回の街宣は「共謀罪反対運動」なのか?
さて、現在外山氏が行っている街宣は、共謀罪の施行を前にした「共謀罪反対運動」なのか、と尋ねると「そうではない」と前置きしつつ、「普段、(活動拠点である)福岡でやっている街宣をやるだけなんだけど、『こんなんじゃあテロ等準備罪にはひっかからないよ』というのを見せつける、という側面はありますね」と外山氏は語る。
ご存知のように共謀罪は277の犯罪が対象になっている。我々も施行前とはいえ取材するにあたり277項目を検討してみたところ、もしかしたら「内乱等幇助」「公衆脅迫目的犯罪資金処罰法」「著作権法」にひっかかる可能性があるのでは?と討議を重ねた。その詳細は冗長になるので省くが、最終的にはおそらく問題なかろうという判断をした。そもそも共謀罪の国会答弁でも「何が対象になるのかわからない」という問題点は指摘されており、さらには取材、そして施行前にもかかわらず「ひっかかるか、ひっかからないか」を気にしてしまうのは共謀罪反対派が言う「萎縮効果」が我々にも及んでいるのかもしれない。
そんな我々を外山氏は「萎縮するのが悪いんですよ。萎縮せずにこれまで通りやればいい。それで何かで捕まったりしたときは、わーわー怒って抗議すればいいだけであって」と笑う。
だが、自らを「テロリスト」と言い、「原発を爆破したい」と言うのは共謀罪以前に内乱罪や破壊活動防止法、さらにはそれらの扇動罪にあたる可能性もあるのでは?
「私は自分をテロリストとは言っていますが、『テロをやる』『テロを実行する』とは一言も言っていない。きちんと街宣のフレーズを聞いてほしいのですが、『原発を爆破したい』ではなく『原発を爆破したいほど嫌い』と自分の内心を吐露しているにすぎませんよ。もしも扇動と受け取られたら『僕はそのつもりはなかった』と言うしかないですよね(笑)。そして、扇動かどうかを判断するのは当局のさじ加減だから。まあ、向こうはやるときは何でもやりますから。それをいちいち『忖度』して萎縮してはいけない、と」
いかにも外山氏らしいロジックである。そして、そもそも「実際にテロリストを捕まえるならば、現行法制下でもいろんな犯罪を適用して逮捕することは可能なんです。ただし、私はそのこと自体をずっと問題視しているんですがね」と外山氏は指摘する。
「例えば当局にマークされている人物が偽名で宿泊すると宿泊業法違反で逮捕される、という例があります。ただ、問題は法律が平等に適応されていなくて、一般人はスルーでテロリストだと見なされるとものすごい細かい法律を持ち出してくる。それは法の下の平等に反していますよ。そんなことを許していたら、よくリベラルが言うマルティン・ニーメラーの言葉『ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。(中略)そして、彼らが私を攻撃したとき私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった』と同じことをやっているだけじゃないですか。そもそもはオウム事件のときに警察の強引な捜査を許してしまったから今があるわけで、今さらリベラルが共謀罪反対と言っても、その前にオウムのときにちゃんと抗議すべきだし」
さて、取材班のうちの1名(織田)は実は外山氏から「私の活動を演芸的な何かと勘違いし続けている」と公言されているのだが、今回も「またまたテロリストとか言って、共謀罪の施行直前に世間の意表を突こうという趣向でしょ。しかし、現代芸術的パフォーマンスとしては優れている」と思い取材に臨んだ。
だが、外山氏から「純然たる政治運動です。私は革命家なのでテロは否定しない」という発言を聞くに及び、「ちょっと待て」とその真意を尋ねた。
「まず、共謀罪では一般の人は迷惑をこうむらないと思います。テロリストや『テロリストと見なされる人』が困るのであって。そういう人の立場から反対するべきだし、社会の中に特別なカテゴリーをつくって『そういう人だったら何をされてもOK』みたいなことを許してはいかん」
確かにアメリカのアフガン侵攻、イラク戦争以後のグァンダナモ収容所の例を持ち出すまでもなく、テロリストと見なされると、当人が実際にテロリストでなくてもアフガニスタンやイラクの法律も、アメリカの法律も、さらには国際法まで適応されず、拷問などの非人間的な扱いをされる、という問題はあった。同種のことは現在でも行われているだろう。一方で、一般人の感情としては「爆弾を仕掛けられて自分や肉親、友人が殺されてはたまらない」と思うだろうし、「サリンを撒かれる前や、トラックで突っ込んでこられる前になんとかしてくれよ」と思うのも当然の感情ではないだろうか?
「それはそうなんですが、やっぱり一応は近代的な刑法とか司法の原則があって、『法の原則上、やれないことはやれない』んですよ。その原則を、日本の場合はオウム事件だし、アメリカの場合は9・11だけど、今まで漠然と想定されていた水準の“大規模な”テロをはるかに超える規模のことがいきなり起こって、それでパニックに陥って法の原則も全部ないがしろにしてやりはじめる、というのがアメリカが主導している『対テロ戦争』なわけで」
そして、一般人がこうしたことに声を上げないこと自体がもはや戦時下であることの証左なのだ、と外山氏は主張し、最後に少しだけ本音を漏らしてくれた。
「共謀罪に反対している人たちは『戦争が近づいている』というけれど、もう戦争は始まっているわけですよ。対テロ戦争をやっているわけであって。で、その戦時下の状況に今、あるわけですよね。だから、明示的にあからさまにテロリストの側につかないように、でも、気持ちとしてはテロリストの側にいようと思っていて。反戦運動として『我々はテロリストでございます』という声をあげているわけですよ」
ちなみに外山氏は共謀罪施行日の7月11日以降も、都内で同様の街宣を続ける予定である。
取材・文/海老原哲二 取材・文・撮影・動画編集/織田曜一郎(週刊SPA!)