ウォークマン衝撃のデビューから約40年。自社が生み出した製品を超えるモノをつくり続けるソニーの歴史
音楽を持ち歩く。「ウォークマン」で新たな音楽の楽しみ方を提案し、我々のライフスタイルに革命を起こしたソニー。衝撃のデビューから40年近くが経とうとする今、ウォークマンはさらなる進化を遂げていた。
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再生機能と録音機能を兼備したモデルが主流のなかで、再生機能だけのテープレコーダーは、はたして受け入れられるのか。商談の場でも心配する声が挙がっていたという。そして残念ながら、周囲の不安は見事に的中してしまう。
「多くの若者にTPS-L2を使ってもらいたいと、夏休みが始まる7月の発売に向けて急ピッチで開発が進められました。6月下旬には、メディア向けにTPS-L2の発表会を開催し、代々木公園まで移動して実際に試聴してもらいましたが、メディアの反応はあまりよくなかったと聞いています」
発売までに悪い流れを断ち切ることはできず、3万台の初回出荷数に対して、7月は3000台しか売れなかったTPS-L2。そこからどのような逆転劇を経て、ウォークマンの存在を広く世に知らしめることができたのか。そこには当時のソニー社員たちの営業努力があった。
「営業の担当者たちは、TPSL2を持って人通りの多い場所に向かったそうです。自らが広告塔となり、多くの方に商品の魅力を伝える取り組みが奏功し、8月末には初回出荷台数を完売。その後も生産が追いつかないほどの人気を博しました。TPS-L2だけではなく、新たに開発した小型・軽量化したヘッドホン(MDR-3L2)をセットにして販売したのも、TPS-L2がヒットした要因だと考えます」
TPS-L2の成功を機に、ソニーは次のウォークマンの開発に着手する。
1979年にソニーが生み出した、ポータブルオーディオプレイヤー「ウォークマン」。もはやその説明が不要なほど、名の知られた人気アイテムだが、ニーズが多様化した現在は、一口にウォークマンといっても、さまざまなモデルが存在する。
「お客様のニーズに応えて開発を続けてきたのが、ロングセラーの秘訣だと思います」とは、ソニー広報の沼田嶺一氏。初代ウォークマンも音楽ファンの要望に応えて生み出されたのかと思いきや、発案者は意外な人物だった。
「ウォークマンの試作機をつくってほしいと担当部署に命じたのは、当時弊社の名誉会長を務めていた井深大です。井深は海外出張に行くときに、デンスケという自社製のテープレコーダーを使っていました。ただ、携帯するにはあまりにも重くて不便だったので、1978年に弊社が発売した小型テープレコーダーのプレスマンをベースに、ステレオ再生ができて、持ち運びやすいものを希望しました」
当時のテープレコーダーは、録音機能と再生機能を備えているのが一般的だった。プレスマンも再生機能を持っていたが、モノラル再生しかできず、ステレオ再生と比べると物足りなかった。
そこで新たに開発するものでは、録音機能を排除する代わりに、ステレオ再生機能を搭載することになる。
「試作機を使用した井深は、これはいいと感動し、当時会長だった盛田昭夫に紹介しました。盛田も試作機を気に入り、初代ウォークマン『TPS-L2』の商品化がスタートしますが、社内では心配する声も挙がったそうです」
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