当時の夢は「フェリスに通うコと付き合うこと」
――学生時代からすでに東京と大阪を頻繁に行き来されていたかと思います。そのとき、東京と大阪の若者事情で「ここが違う」と感じた点はありましたか?
越前屋:東京はどこまでいっても上っ面という感じがしてました。例えば、食事をするにしても、女のコを誘ってイタリアンのオシャレな店には行くんだけど、会話はつまらない。大阪は「腹、減ったからお好み焼きでも食いにいこか?」っていう感じで、お好み焼き屋のおばちゃんに、「勝手にひっくり返したらあかん!」とか「コテで上から押さえつけたらあかん!」とか突っ込まれながら、それでもなんとかして女のコを笑わすぞ、という気持ちだけはみんな持ってました。
でも、なにかと否定的だった東京でしたが、東京の女のコにだけはずっと憧れてましたね。当時は、フェリス女学院の女のコと付き合うのが夢でした。名前からして美しい! だってフェリスですもの! 関西は京女に華頂に梅花に橘。まるで京料理のコース名です。
――関西での「タレント」のステイタスは、東京とはどれほど違ったのでしょうか?
越前屋:今も昔もとりあえず関西では面白くないとモテません。子供のころから、みんな鍛えられている。だからテレビに出てない人でも、そこそこ面白い人は街のあちこちにいた。僕もたぶんその1人だったと思う。一般人でもみんな我こそが面白いと思っているわけだから、テレビに出てる関西のタレントさんは笑いのレベルはともかく高かった。
東京はどちらかというと、そんなに面白くなくてもなんか、そういう流れに乗ると、なんとなくタレントさんになれるような感じでした。東京の知り合いの女のコは、大阪に遊びに来たときに環状線に乗ってるお客さん同士の会話を聞いて、大阪人は全員漫才師だと思ったらしいです。
――越前屋さん自身は、バブル前夜の80年代をどのように過ごしてましたか?
越前屋:なんとなくカネがなかった時代でしたが、毎日が面白かった。成功したお金持ちの大人は結局、高級車に乗るか、いい服を着るか、美味いもんを食うか、大きな家を建てるか、所詮そんなもんです。大してパターンはない。
それに比べて、貧乏な若者はいろんなバリエーションがありましたからね。これからなにかやりたいエネルギーを持った若者がいっぱいいた。カネはなかったけど、みんな夢は持っていたような気がします。バブルってよかったよねっていうけど、それは物質的な話です。
そうじゃなくて、僕は精神がバブってた。なんでもできるような気がしてました。だって、デビュー当時、路上で街行く人の頭をシャンプーしてたわけですから(笑)。カネよりも志があった時代というか。芸人さんに例えると、売れてからのほうがカネになるけど、売れる前が一番面白かったみたいな。そういう感じですね。お金持ちは本当につまらないですよ。
【越前屋俵太】
1961年、京都府生まれ。関西大学社会学部在学中にアルバイトとしてテレビ番組作りに参加、深夜番組企画の企画会議にて街中で一般人を強引に巻き込むライブパフォーマンス企画を提案する。その後は『笑ってる場合ですよ!』や『探偵!ナイトスクープ』などに出演。タレント業のほか、プロデューサー、演出家、書家、大学講師、デザイナーとさまざまな活動を行う。近著『
想定外を楽しむ方法』が好評発売中
@echizenya_hyota
文/山田ゴメス、写真/産経新聞社
大阪府生まれ。年齢非公開。関西大学経済学部卒業後、大手画材屋勤務を経てフリーランスに。エロからファッション・学年誌・音楽&美術評論・人工衛星・AI、さらには漫画原作…まで、記名・無記名、紙・ネットを問わず、偏った幅広さを持ち味としながら、草野球をこよなく愛し、年間80試合以上に出場するライター兼コラムニスト&イラストレーターであり、「ネットニュースパトローラー(NNP)」の肩書きも併せ持つ。『
「モテ」と「非モテ」の脳科学~おじさんの恋はなぜ報われないのか~』(ワニブックスPLUS新書)ほか、著書は覆面のものを含めると50冊を超える。保有資格は「HSP(ハイリー・センシテブ・パーソンズ)カウンセラー」「温泉マイスター」「合コンマスター」など
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