スタン・ハンセンのおヒゲと『世界最強タッグ』とメリークリスマス――フミ斎藤のプロレス読本#152[馬場さんワールド編7]
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
ハンセンはバカボンのパパである、なんていっちゃうといささか日本語が不十分ということになる。
でも、スタン・ハンセンというプロレスラーのビジュアル的な認知度はほんとうに『天才バカボン』のバカボンのパパのそれと同じくらいのランクといっていい。
テキサスのカウボーイだから、やっぱりテンガロンハットをかぶって、ブルロープを振りまわしながら観客のまえに現れる。
黒の革ベストの背中にはドクロと骨のロゴが描かれていて、ウエスタンブーツのデザインを基調とした黒のリングシューズには“TEXAS”の文字が縫い込まれている。
リングコスチュームを脱いでしまうと、身につけているものは黒のデカパン一丁になる。アゴがふたつに割れていて、口元はいつもへの字に曲がっている。
大きな鼻の下には栗色のふさふさの口ヒゲをたくわえていて、そのヒゲのふさふさぐあいがじっさいの年齢よりもよけいにハンセンをオジサン顔にしている。
右手の人さし指と小指を立てて“ウィーッYouth!”と叫ぶとテキサス・ロングホーン(テキサス種の長角牛、テキサス人)を意味するサイン・ランゲージになる。
日本武道館のリングに立ったハンセンは、“ウィーッ”の雄叫びと同時に、かぶってきた白のテンガロンハットを観客席に投げ込んだ。
ストロー地のテンガロンハットは、つばのところがブーメランのようにくるくると回転して、ゆっくりと空中を旋回しながらアリーナ席後方に落ちていった。
ハンセンのよこにはベイダーがいて、反対側のコーナーでは小橋健太(当時=建太)と秋山準が外国人チームのほうをじっとにらんでいた。
『世界最強タッグ決定リーグ戦』の歴史年表と“ハンセン史”はきっちりとリンクしている。ブルーザー・ブロディ、テッド・デビアス、テリー・ゴーディ、そして天龍源一郎。ずいぶんたくさんのパートナーがハンセンを通過していった。
もう10年もまえから「あと1、2年で引退」と公言しながら、ずっとメインイベンターのポジションでリングに上がりつづけてきた。10年まえも現在(いま)もプロレスそのものはまったく変わっていない。
『世界最強タッグ』最終戦の日本武道館大会は、学校でいえばちょうど2学期の終業式のようなものだ。通信簿の中身もたしかに大切かもしれないけれど、そこに集まった人びとにとってはみんなでいっしょに1年のしめくくりの時間を共有できることのほうがはるかに大きな意味がある。
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