ライフ

中卒で露天商に。屋台のたい焼き屋を続ける32歳店主の思い「雇ってくれる企業なんてないから…」

 かつて日本の一般的な文化だった屋台。しかし今はその数は減り続け、’20年の東京五輪までに絶滅してしまうことも危ぶまれている。そんななか、葛西駅付近でひっそりとたい焼きを販売する車がある。店主の名は瀬田祐樹さん(仮名)。32歳にもかかわらず、移動販売歴は16年と長い。当時をこう振り返る。 「もともと友達の親が露天商をやってて、それを中学の頃から手伝ってたんですよ。屋台や露店が生活の一部みたいな感じですかね。そのせいか抵抗とかもなく、中学卒業後にそのまま露天商としてデビューしました。まあ当時は、高校へ進学する意味や価値が見出せなかったしね」  現在の場所でタイ焼きを売り始めたのは5年程前だという。 「その前は、スーパーの前で焼き鳥を焼いて生活費を稼いでました。ただ、急に規制が厳しくなって、立ち退かなきゃいけなくなって。それからは今の場所でたい焼きを売ってます」  たい焼きは1個120円。17時から21時の4時間ほどの営業で、一日150個近く売れることもあるのだとか。車内の内装はや設備はコストを抑えるために全て手製。それでも手残りは月30万円前後だという。 「材料費だなんだで稼ぎを丸々懐に入れられるわけでないし、警察にも注意され営業できない日もありますからね。苦情が入ると指導しないわけにはいかないみたいで、多いときは月に4~5回は来ますよ。そしたらその日は店を閉めなきゃいけない。そっとしておいてほしい」  腫れもの扱いされるようなことがある現在の状況でも、屋台をやめる気はないとか。 「法律的にはグレーゾーンなのかもしれないけど、中学の頃から露店や屋台をやってるからね。だから“慣れ”っていうか他のことはできないですね。それに俺、中卒でしょ。就職しようにも雇ってくれる企業なんてないですよ。だから、俺にできるのはたい焼きをひとつでも多く売ることだけ。規制がこれ以上厳しくなって、屋台や露天商もダメということになれば、あとは日雇いのアルバイトホームレスになるしかないかなあ。それはマジできついっすよ」  ますます厳しくなる環境と店主の切実な声。屋台が再び日常の中に受け入れられる日はくるのだろうか。<取材・文/SPA!東京屋台取材班>
おすすめ記事