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虎ノ門で40年以上ラーメン屋台を引く74歳店主「娘には秘密にしていた」

かつて日本においてその存在はごく一般的であった屋台。夜ごとリヤカーを引くその形態は庶民に親しまれ、チャルメラの音に懐かしさを感じる人も多い。しかし、この数十年で激減した東京の屋台は今や絶滅の危機に瀕し、数を正確に知る者もいないという。迫る’20年の東京五輪に向けて、屋台文化消滅の危機感を抱いたSPA!取材班は、現存する屋台の声を聞くべく、夜の東京を駆けた――。
幸っちゃん

虎ノ門駅地上階出口そば。営業時間は、平日の20時半頃から。深夜2時半頃からは銀座に場所を移して営業する。「屋台がいいのは好きに休めることかな。サボりすぎてお金がなくなったら、また屋台を引くんだよ」(久保さん)

虎ノ門で40年超。娘には仕事のことは秘密にしてたよ

 いざ取材を進めようにも、屋台を引くおっちゃんの姿を見たのは遠い昔。一体どこに行けば現役の屋台は見つかるのか。「銀座~虎ノ門のあたりで見かけたことがあるよ」という情報を頼りに向かったのは虎ノ門。22時頃、見つけたのはラーメン屋台「幸っちゃん」。ビルの電灯や行き交う車の強烈なライトが交差する街の中では提灯の薄明かりはどこか心もとない。ともすれば見逃してしまいそうだ。 幸っちゃん 「いらっしゃい」と快活な声をかけてくれたのは店主の久保守さん(仮名)。御年74で屋台歴約42年の大ベテランで、もともとはトラックの運転手だったとか。 「運転がヘタでね、車を擦ってばかり。いつか人をひいてしまうんじゃないかと怖くて、辞めたよ」  偶然入った屋台の店主に“屋台貸し”を紹介してもらい創業。当時はバブル期で、大繁盛したとか。 「昔は夜遅くにメシを食えるところなんてなかったからさ。残業中のサラリーマンが会社の窓から首を出して大声で注文してくれてね。でも今はコンビニや深夜営業の居酒屋があるから難しいねえ。それに今は道交法なんかもうるさいから、お巡りさんに指摘されたらその日はそこで店じまいだよ」 幸っちゃん 店名の「幸っちゃん」は娘さんの名前の一文字から。しかし、当初娘さんには自分が屋台をやっていることを秘密にしていたと語る。 「屋台が仕事なんて立派なもんじゃないでしょ? 後ろめたくてね。今は応援してくれてるのかな。半年前に膝の手術をしてしばらく休業してたんだけど、こないだから再開してね。この仕事が好きだから東京五輪まで頑張りたいね」 幸っちゃん― 消えゆく[東京の屋台]の今 ―
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